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お茶が飲めなくなったわたし、12分の4

タイトルからしてもう楽しそうな気配がしないですけれど、今年のわたしを振り返るにあたって外せない事柄なので、そろそろ向き合おうかなと思います。

おいしい飲みもの、とりわけ紅茶が好き(紅茶の話題はマガジンにて!)

これはプロフィールの一文ですが、本来「その人を表す」はずのプロフィールが、今のわたしにとっては、なんだか遠いところのよう。まるで別人の自己紹介を見ているような気分になります。

それもそのはず、なぜなら紅茶を飲んでいないから。

自分でもびっくりしてしまうのですが、9月5日を最後に、紅茶をおいしく飲めていません。「おいしく」と付け足したのは、口に入れるだけであればかろうじて何度か飲んでいるから。でも、全然おいしく感じないんです。

例えばこれが、妊娠したのでカフェインを控えています!とかであれば、事が落ち着けばまた飲むようになるでしょう。
そしてこれまた例えば、流行り病の後遺症で味覚が…とか、そういう話であれば、それはそれでたいへんな苦労があるかとは思いますが、理由がはっきりしているという点ではまだ、納得できると思うんです。

わたしの場合は、どちらも違います。
急に、体がカフェインを受け付けなくなってしまいました。

そう、紅茶のみならず、コーヒーもぜんぜんおいしくないです。
夏に少し遠くのスーパーで見つけたスティックタイプのカフェモカ、寒くなるまで楽しみにとっておいたのに。母がわたしのために買ってくれた少しお高いほうじ茶のティーバッグも。
飲みたいという気持ちがまったく起こりません。

あくまでも気持ちの問題で、物理的に飲み下すことは可能なので、「飲めない」というのは大げさなのかもしれません。
でも、もともと人並みかそれ以上に紅茶が好きだったわたしにとっては、「おいしく飲んでいたものがおいしくなくなった」あるいは「飲みたいと思って飲んでいたものを飲みたくなくなった」というだけでも、「飲めない」と語るには十分すぎました。

すごく落ち込んだし、今でも信じられないし、いつかポロッと元通りになってくれないかなあ…なんて思っています。
ただ、今のところは、「飲めないもんは仕方ない」の精神で、なんとか、飲まない日々でも楽しもうと努めています(笑)

紅茶を飲まなくなって変わったこと①

ごみが減った。
これは案外、嬉しいことです。ティーバッグも茶葉も、あるいはコーヒーにしても、なにかしらのごみが出ますから。それが減ると、キッチンまわりがすっきりして気持ちいいですね。もちろん、収納スペース(茶葉ストック)も整理したので、すっきりしました。
今でも麦茶や黒豆茶のパックは置いていますし、使えばごみは出ますが、量と頻度が、紅茶・コーヒーを愛飲していた頃に比べると少ないです。

紅茶を飲まなくなって変わったこと②

甘いものをあまり食べなくなった。
誤解のないように言っておきますが、食べてはいます。ただ、選ぶお菓子の種類や食べ方が、変わったと思います。

以前は、
ティータイム!甘い物!何にしよう!?
というように、お茶ありきで組み合わせを考えて楽しんでいました。

飲みたいお茶があるとそれに合うお菓子を、食べたいお菓子があるとそれに合うお茶を選ぶので、おのずとハイカロリーになっていったり、焼き菓子に思いを馳せがちだったりします。それがなくなったことで、あまり種類に頓着しなくなったかもしれません。
なんとなく甘ければオッケーとか、しょっぱければオッケーとか、ざっくりした気持ちでおやつを手に取るようになりました。

紅茶を飲まなくなって変わったこと③

お金の使い方。
いろいろ飲んでいたときに良い茶葉を買っている自覚はあったのですが、飲まなくなり、買わなくなったことで、より一層それを強く感じました。

そして、お茶やお茶菓子にお金がかからなくなったら何にお金をかけ始めたかというと、花です。

生花と、あと、花瓶も。
先日「花瓶を1万円ぶん買いました」というあほみたいな記事を書いたのですが、お茶50gに800~1500円ほど払っていた頃のわたしなら、正直、花瓶にそこまでの予算をまわせていないです。

お茶を飲まなくなったらお金の使いどころがなくなって貯金が捗る✌
とかだったらよかったのになあ…。
ちゃっかり違うところにお金を使っているわたしなのでした。

紅茶を飲まなくなって迷っていること

同じような見出しが3回続きましたが、4回目のこれは、違うことを言っていますよ。念のため(笑)

冒頭にも書いたプロフィール文が、しっくりこなくなってしまい、どうしたものかと悩んでいます。

飲まないなら好きって言えないよなあ、というためらいと
でもnoteを始めて3年半、ずっと掲げてきた自己紹介だしなあ、という愛着と
なくしたところで代わりに何を書くんだろう、という戸惑いと。
そんなところでしょうか。

最後にツイートを成仏させる

飲めなくなって数週間のころに、ぽろっと呟いた言葉たちです。

このときはまだ、今以上に現実を受け入れられていなくて、noteに書こうにも気持ちが整理できない、言葉にならない状態でした。
お酒を飲みながら、ほろりと垂れ流したツイート。こういう弱音も、あとから見ると良いモノだな、と思います。「言葉にならない」と思いながらでも、なんとか紡いだ言葉、それはこのときにしか書けないものだからです。

noteでこれから何を書いていくか、はっきりした答えは出ないままだけれど、わたしなりに興味を持ったテーマについて、これからも綴っていければと思います。

呑み書きの告知を見て、前回呑み書き時のツイートであるこれらを、呑み書き前に成仏させねば!と思い立ちまして、筆をとりました。

なんか書きたいなーと思ってます。ふふ。
それでは、また。

七志野さんかく△

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