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もやもやは「認知の歪み」のせいだった

最近はじめた認知行動療法をゆるゆると続けている。
続けているというか、とりあえず本に目を通している。
えらい。とてもえらい。えらすぎる。


今回は自分の認知の歪みを探る。

認知の歪みとは

同じ出来事に遭遇した際に、歪んだ捉え方をすることで、自分の気持ちが不安になったりイライラしたり、ネガティブなものになることを指します。程度の問題であるため、「認知の歪みが全く無い」という人はいません。          

うららか相談室

さらに言えば、近年では「認知の歪み」という考え方も古くなってきました。なぜなら、認知の仕方に正解がなく、ゆえに歪みと言える根拠がないからです。人それぞれ違う認知の仕方を「特性」であると考えて、そんな「特性」に苦しんでいる人に対しては、矯正するのではなく、別の視点を与えて両方の認知ができるようにするというイメージが最近の認知行動療法の主流です。

同上

8種類の、考え方のクセ(思考パターン)
読んでびっくり。全部に苦しんでる自覚ある

あれもこれもそれも、私のせいじゃなくて
これまでの経験の蓄積からくるものだった。

全網羅してたら、そりゃあしんどいはずだわ。

すぐ落ち込んだり不安になったりすることが当たり前になっていたし、「それが私..私はネガティブだから仕方ない..」とずっと思っていたから、目から鱗。

それは思考のクセだよ!って知っていたら、自動思考が浮かんだとき、落ち込む前にいったん立ち止まることができるかもしれない。

ひとつずつやってみる。


二分法的思考

【いわゆる白黒思考。0か100か】

不登校のお子さんとお話しすると「途中から教室に入るのは嫌だ。学校に行くなら朝から登校したい。遅刻するなら学校を休んだ方がましだ」という声をよく聞きます。

認知行動療法で「なりたい自分」になる-高井祐子

これもそうなのか..!学生時代、ずっと遅刻することを過度に怖がってた。
自分でも気づいていない白黒思考、たくさんあるのかもしれない。

完璧にできなくても大丈夫
そう言い聞かせても、「そんなはずない!」と反発したくなる自分がどこかにいる。と思ってたら

「100点じゃなくてもいいんだよ」こんなふうにいうと、きっとあなたは「そんな中途半端が許されるもんか。それでいいわけがない」と反発することでしょう。そのくらい強い信念として、考え方のパターンがあなたにしみこんでいるのです。
自分にとっては当たり前のような信念も、実はあなたを苦しめる認知パターンなのかもしれません。

同上

答え書いてくれてた。

ほぉ、、。信念か。こわ。


少しずつトライを増やしてはいるけれど、まだまだ、失敗が怖くて二の足を踏むことが多い。

今思い浮かんだのは、友達に誘われたマーダーミステリー。
物語の中の人物になりきって謎解きをしていくゲーム。

自分とは違う誰かになってみたいという願望を持ちながらも、恥ずかしいな、下手くそだと思われたくない、そう思われるくらいならやらないほうがいいのかも..という気持ちが強くてまだできてない。

やってみたら案外できるかもしれないし、楽しいかもしれない。やりたいんならやってみる。
挑戦した先に見えるものがあることを私はもう知ってる。
下手くそでいいからやる。決意。
最初はみんな初心者だ!

過度の一般化

【一度失敗したことや悪い出来事を、その後の全てにあてはめてしまうこと】

パート主婦なのに家事がきちんとできない。
今日は洗い物、放置した。あー私はダメな人間だ。
最近ずっとそんな感じだった。

客観的にみてみたら、生活に困るほどできてないわけじゃないし、最低限のことはできてるし、しんどいときは出来なくて当然。

「きちんと」できない っていうのも、自分基準。
1日洗い物できなかっただけでダメな人間って。
冷静に考えたら厳し過ぎ。


生活が維持できてるんだしなんの問題もなかったな。
そっか、べつに休んだっていいんだよね。
できないならできないと言えばいいのか。

私に失格のレッテル貼ってるの、私自身だ。
誰も私のこと「できない奴」なんて責めてないやん....。

選択的抽出

【ポジティブなことは無視してネガティブなことばかり取り上げる考え方】

楽しいこと嬉しいことが100あったとしても
たった0.1の嫌なこと、失敗したことのほうに目を向けがち。

今月も楽しいことたくさんあったのに、ほんの些細な、しかも自分にコントロールできないことに注視してる。

これも思考の癖なのか。

読心術

【相手の態度や行動を、根拠なく決めつけてしまうこと】

こんなこと言ったら嫌われるかもしれない
この人には言っても聞いてくれないだろうな
どうせ断られるだろうしな

勝手に相手の反応を想像して自己完結すること、
思い当たる出来事が割とある。

伝えてみたら予想外に良い反応もらえたりするのにね。
怖くて踏み出すまでの時間がかかりすぎる。

自己関連づけ

【なんらかの問題はいつも自分が関わっているという考え方】

職場に機嫌が悪い人がいるとき、私が何かしたのかな..自分もその原因だったらどうしよう..って思うことよくあった。

そういえば最近は「それはあなたの問題だよね」でスルーできるようになってるな。

マスト思考・べき思考

【絶対的な義務感が生じている考え方】

楽しちゃいけない、頑張らなきゃいけない
楽をするのは悪いこと、頑張れないのは良くないこと

そう思い込んで生きてきたけど、ほんとにそうかな。と初めて疑った。

誰かを傷つけるようなことさえなければ、自由にしたらいいんじゃない。
楽したっていいんじゃない。
しなくていい苦労はしなくていいんじゃない。

主婦だから家事は毎日きちんとやるべき
ごはんは毎日作らなきゃいけない
洗濯物はきちんと畳まないといけない
夫が帰ってくる前にごはんの準備をしないといけない
夫のお弁当は絶対つくるべき
食費は予算内に収めないといけない

今パッと思いついたもの。
これ、本当に必要な「べき」なの?
いや、自分で自分を追い込んでる。勝手に。

毎日掃除ができなくたって死なない
ごはん面倒なら2日分まとめて作ったらいい
毎日キッチンに立たなきゃいけないルールなんかない
毎日メニュー変えなあかんこともない
洗濯物、ぴっちり畳まなくたってしまえるし着れる
見えないとこがぐちゃぐちゃでも気にならない
ごはんの準備が遅くなって怒られることなんかない
なんなら、お腹空いてたら勝手に好きなもの食べてくれたっていい、大人なんだから好きにできる
お弁当作れなくたって買ったら済む
食費がちょっとオーバーしたってすぐに生活が困窮するわけでもない
値上がりし続けてるし、見直すことも考えたらいい

私にはこの、べき思考が特に強いと感じる。
「べき」に囚われるから、できなかったときの反動が大きい。

あと、気づかないうちに「べき」が私の「常識」となって人に押し付けてしまう可能性があるのが怖いなと思った。


「〇〇しなきゃいけない!」「〇〇すべき!」がやってきたら、「ほんまにそう?」と問い返すようにしていこう。


破局視

【根拠なく過度に最悪な結果に陥ると確信してしまうこと】


昔は、仕事辞めたら人生終わりだとかそんなことを本気で思ってたな。

過去の自分と比べるとずいぶんマシになった。
何があっても案外なんとかなるよってことを経験してわかったからだと思う。

今でもあるのは、特定のある人に嫌われたら(その人が離れていったら)何もかもおしまいだ
という思考。

「この人は私にとって特別だ」とかそういう位置付けをした相手に、私から離れていくかもしれないという恐怖を抱くことがある。

これは認知というよりアタッチメント(愛着障害)の問題に近いのかな。

やはりここも課題。

過小視

【ポジティブな結果の重要性を軽視してしまうこと】

主婦だから家事はやって当たり前

結婚してからずーっとこれに苦しめられてたんだ私。

夫にそう言われたことなんて一度もない。むしろ、よくやってくれてありがとうって言葉もくれる。

みんなやってること。これくらいできて当然。
たまに自分を褒めてみてもなんか...いやいやこれくらい当然だからさ...と思ってしまう。
自分のことを過小評価する癖が染み込んでるらしい。

ちょっとずつ、自分を褒める練習していこう。



おわりに

正直めんどくさかった。
だからノートじゃなくてnoteに書いた。

でも「私にはこんな思考の癖があるよ」ということを知れたのは大きすぎる収穫。

それぞれの思考パターンの陥り方に強弱はあれど
無意識にそれが当たり前だと思っていた考え方が、
実は歪んだ捉え方だったとは。

あくまで「人生経験によってしみついた癖」だから変えていけることを知り、少し気が楽になった。

実際、昔はひどかったものが改善されていることにも気づけた。



今の私は白黒思考と、べき思考がとくに顕著。

「あ、今、私の癖がやってきたな」と気づき、思考の前にワンクッション置くことで、不安とプレッシャーの渦に飲み込まれることを回避できるかもしれない。

知れてよかった、やってみてよかった。
自分のこと、もう少し冷静に観察できそう。

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