初めて泣いた日( 後編 )
初めて泣いた日( 前編 )をまだご覧になっていない方は先に一読お願い致します。
それでは、続きをどうぞ。
対応してくれた医師や看護師に挨拶をし、誰も乗っていないストレッチャーを押しながら施設に戻る。
救急搬送して利用者さんが入院になった時は、サマリー( 利用者さんの情報を簡単にまとめて書いたもの )を作成するのがめんどくさいと思うだけだが、お亡くなりになるとめんどくさいとは思わない。
なぜかわからないが気が重くなる。
明るくなれない。
元気も出ない。
もちろんやる気も全く出てこない。
でも、仕事はしっかり残っている。
急変対応で色々やっていたため戻ったのはお昼前。
介護の早番はお昼休憩に入っている。
残っていた職員が駆け寄る。
Yさんはどうなったか心配している様子が伺える。
「 残念ながらお亡くなりに・・・ 」
「 えっ!?亡くなったんですか!? 」
「 昇圧剤とか電気ショックとか色々やったけどね 」
「 残念ですね・・・。あ、いつご家族が来ても大丈夫なように荷物まとめておきますね 」
退所と同じ扱いのため利用者さんの荷物をご家族が取りに来る。
次の利用者さんを受け入れる準備もしなければならないため荷物をまとめておかなければならない。
ストレッチャーを定位置に戻し、ステーションやったことを記録する。
ため息しか出てこない。
あーあ、Yさんいなくなっちゃった・・・
その日は一日中くら〜い気持ちで仕事をした。
家に帰ってからも気分は暗いままだった。
晩御飯を家族みんなで食べていた時に、不意に母が「 そー言えば、あんたのこと色男って言ってるおばあちゃんは元気にしてるの? 」
「 元気だったんだけどね、今日亡くなった・・・ 」
「 え?最近伝い歩きが出来るくらい元気になったって言ってたのに? 」
利用者さんの名前は出さないが、こんな利用者さんがいるよと施設での出来事をちょくちょく話していた。
Yさんのことも色男と呼ぶことや伝い歩きが出来るようになったことなどを話題にしていた。
私が楽しそうに話すのを母は笑顔で聞いており、見知らぬYさんがお気に入りになっていた。
「 ・・・トイレの後に胸が痛いと訴えてさ、その後すぐに心肺停止になって搬送したんだ。心臓マッサージや昇圧剤、電気ショックとかやったけど戻って来なかった・・・ 」
母は黙って聞いていた
「 一生懸命心臓マッサージしたんだ。戻って来いって何回も何回も言いながら・・・ 」
「 でもさ、戻って来なかったんだ。どんどん冷たくなっていっちゃってさ・・・ 」
私は抑えていた感情が溢れ出し、涙を流しながら話した。
それを聞いていた母も涙してくれ
「 泣いてやりな。あんたが泣くことでおばあちゃんは浮かばれるよ 」
晩飯どころではなくなり、泣き崩れてしまった。
こう表現することが正しいかは分からないが、可愛がっていた利用者さんがお亡くなりになったこと。
救急搬送し、心臓マッサージなどをしたが助けられなかったこと。
人としての悲しさ、看護師としての悔しさが母の一言で大泣きへ変わった。
今まで病院や施設でお亡くなりになった人を何度も見ていた。
気が重くなることはあっても涙することはなかった。
プライベートで話題にするくらい仲良くなっていなかったからかも知れないが。
今でもYさんのことは忘れられない。
この文章を書きながら、思い出しながら今でも泣いてしまうくらい私の中にYさんが居続けている。
あの時助けてあげられなくて本当にごめんね。
Yさんの記事はこちらから。