パウル・ツェランとプリーモ・レーヴィ
このあいだ、『パウル・ツェラン詩文集』という本を読んだ。ツェランはナチス時代を経験したユダヤ人の詩人である。彼の詩を読むのはこれが初めてだが、読み始めると、その経歴を意識せずにはいられなかった。詩のあちこちに、「収容所」が彼にもたらしたものの影が、色濃く強く反映されているからだ。
たぶん、そうした「収容所」のイメージの影響だろう。読んでいると、同じく収容所を経験したプリーモ・レーヴィの詩が思い出された。ひとたび思い出すと、読みながら、二者のあいだの共通点や相違点、そういうところがいちいち気になってしまう。
初読から他者の作品と比較しながら読むのは、あまりに先入観が強く、あまりフェアな態度とは思えないのだけれど、そうは言っても、こうした記憶の反射的な照応はどうにも止めようがない。
つとめて「思い出さないように、思い出さないように……!」と、緊張しながらページを繰るのが良い読書とも思えず、諦めて(というか、開き直って)、レーヴィを思い出しながら読むことにした。
そういうわけで、『パウル・ツェラン詩文集』と『プリーモ・レーヴィ全詩集』の二冊が混ざった感想文です。
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プリーモ・レーヴィの詩を読んで感じるのは、そこに生々しい「声」が聴こえるということだ。比喩的に、というよりもむしろ肉体感覚的に、「声」が詩のイメージを伝える。呻き、哄笑、叫び。声色から感情がこちらに伝染してくるような、そういう生々しい響きが聴こえる。
レーヴィは、収容所での体験記も書いている。そこでは、詳細に具体的に暴力の描写がなされ、そこでのできごとについて彼の分析や解釈も行われている。そこにはジャーナリスティックな、また論理的、思索的な性格がある。他方、詩においては(詩が一般にそうであるように)、レーヴィのスタイルはより象徴的、断片的、抽象的になる。
そうしたスタイルの差分が僕に想像させるのは、体験記というやり方では語れないものを、詩という形式で表現しようと試行錯誤する作者の姿だ。
体験記が、ひとつひとつ描写の積み重ね、できごとへの注釈の積み重ねによって、彼の体験を、そこで行われた残酷を、客観的に伝えようとする営みだとすれば、詩作はおそらく、そうした合理的・客観的な手法では掬い取れない感情を、あるいは「感じ」、空気感やイメージのようなものを、別様に表現しようとする仕方ではないか、というふうに思う。
そのようにして絞り出される彼の「声」は、非常に痛切で生々しい。そのせいもあって、レーヴィの詩を読んでいると、ひどく疲れる。そこにある「声」は、読んでいる自分になにかを迫ってくるようで、反射的に身体に力が入る。誰かの呻きや叫びを聴くことは、人を疲弊させる。その疲労の感じは、とてもフィジカルな疲れだ。
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ツェランの詩は、レーヴィのそれよりもずっと象徴的で、抽象的だ。フィジカルに読み手を緊張させ、疲労させる生々しい「声」は、僕にはあまり聴こえなかった。詩の言葉自体はソフトで、ときには甘美ですらある。けれど、最初に書いた通り、そこにはやはり「収容所」の暗い影がある。
たとえば、単調な詩句の反復。リズムだけ取り上げれば、それは心地よくさえあるけれど、遠くに、しかし確かに不吉な響きがある。むしろ、リズム自体に心地よさがあるからこそ、そこに混じっている黒い響きは余計に不穏さを増して聴こえる。
このリズムはおそらく、強制労働所での冷たい日々の単調な繰り返しを反映しているのだろう。しかしほとんどの場合、ツェランの詩は僕には難解で、意味するところはよくわからない。けれど、わからないままでも、その詩は不安な気分をもたらす。
心地よさを感じさせるリズム、甘美に聴こえる言葉、そうした表面の形式と、詩全体がたたえる不穏さ、そこに漂う憂鬱な気分。このぎこちないギャップのせいか、どうも居心地が悪い。
レーヴィの詩が「声」によって直接何かを伝えるものだとすれば、ツェランの詩は、聴いているうちに不安や焦りの気分が立ち上がってくる、メランコリックな「音楽」のようだ、と言えるかもしれない。それは何かを迫る「声」というより、深みに誘うような、気づかないうち暗がりに迷い込んでいた、と思わせるような詩だ。
なので、ツェランの詩も、これはこれで読んでいて疲れる。こちらは精神的な疲労感である。ちょうど、長時間PCモニタを見続けたあと、眼に疲労を感じるような具合だ。精神の肩凝り(?)みたいなものかもしれない。
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直接的/象徴的、身体的/精神的という点では対照的な印象を受けたが、いっぽうで、二者の詩から共通して感じたものもある。それは、死者の気配だ。
レーヴィの「声」という詩に、次のような一節がある。
ここで、詩人に語りかける「声のない声」とは、かつての収容者たち、犠牲者たち、つまり死者たちの声のことだろう。彼には「その名残りの響き」が「聞こえる」という。収容所の過酷さゆえに、死ぬよりも先に語る能力を失った人々の、「もう話すことのできないしわがれた声」が、今もレーヴィのなかにこだましている。
ツェランにも、よく似た「声たち」と題された詩がある。
ここで「聞け」と語りかけられている「沈みゆく者」もまた、死者のことであろう。この詩はただちに、レーヴィの「生き残り」という詩を、僕に思い出させる。
繰り返し夢にあらわれる亡霊、それは「生き残ってしまった」レーヴィを糾弾しているかのようだ。彼は「私はだれの地位も奪わなかった」と、死者へみずからの無実を訴える。(それにしても、「沈みゆく者」と「溺れたもの」とは、あまりにもよく似たイメージではないか。)
ここにあるのは、死者と交流する言葉だ。ところで、これは詩である。ここには「詩のなかで語りかけられる死者」がいるいっぽうで、詩の言葉は、「詩の外側にいる者」すなわち読み手へも語りかける。
レーヴィが「ずっと昔からか、昨日からか、あるいは少し前からか、声のない声がする」と書くとき、彼はその詩をつうじて、「語りかけてくる死者」を読者のイメージのなかに生み出している。ツェランが「お前たち、沈みゆく者よ、聞け」と書いているときにも、同じことが言える。
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プラトンによれば、詩とは、それがいかに詩人のパーソナルな経験に由来しているとしても、それが語られた途端もはや詩人のものではなく、ムーサ(詩の女神)の所有物なのだという。
であれば、詩人とは、みずからの口(または筆)を、まるでムーサの言葉を通過させるための媒体のように用いる者のことだ。この、脱主体的な語りの形式こそ、レーヴィが体験記ではできなかったことを可能にする、詩に固有の形式ではないか、というふうに思う。
死者はもう語れない。生者は、死者の言葉を語る資格を持たない。なんといっても、生者は生き残っており、生死を分つ閾を、未だ跨いではいない者だ。聖者はこちら側に在り、死者は向こう側に在る。
ここには、生者/死者のあいだの断絶がある。ツェラン、レーヴィ、二人の詩人は「生者である自分」を脱し、ただの言葉の通路になることで、その境界線を曖昧にし、その詩によって収容所の犠牲者たちの声を読み手のなかにこだまさせる。
この、ツェランの詩の一節にある、未来について思い巡らすことをやめ、それに備えることを放棄して、運命へ身を委ねることへの誘いのような言葉。「そのなかにただくるみこまれて/立っていよ」という、無為への呼びかけ。ここにある「やめよ」という身振りは、詩が脱主体的、あるいは脱-自的に語る仕方と重なってみえる。
自分であることを「やめ」ることで、初めてムーサの詩的な着想が、その脱-自分の口から(あるいは筆から、あるいはキーボードをタッチする指先から)、詩の言葉となって迸るのかもしれない。
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