毎日noteを続けるメリット〜言語化によって自分の成長に気づける
noteを毎日綴るようになって、1年4ヶ月。
(公開が0時を過ぎてnote上の連続投稿記録がリセットされたり、記事を誤って削除してしまったりもしています)
習慣化できたことで、無意識がずーっと働いてくれるようになりました。
おかげさまで、書きたいテーマが途切れず、
「今日、何を書こう」
と悩むことがなくなりました。
「こんなこともあった」
「あれも書いておこう」
と、以前書いた記事を補足する記憶やアイデアが想起されることも増えています。
たとえば、こちら▼
「他に言い方があるのでは?」
と前頭葉で考える以前に、
「どうしてそんなことを言うの?!」
と偏桃体が活性化して、ネガティブな情動が反射的に出ていたことを思い出したんです。
「人から❌をつけられたくない」
という防衛反応が前面に出ていた、かつての私。
『いい人』ぶるのがデフォルトすぎて、少しでもネガティブなニュアンスを含む言葉にふれると、自分が批難されたように感じて、過剰に反応する癖があったんですね。
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それを思えば、私もずいぶんと成長したものです。
批判の言葉を成長のチャンスと捉えれるようになったおかげで、
「イラッ💢」「ムカッ💢」
と頭に血がのぼることもなければ、
「ガーン……」
と茫然自失になることもなくなりました。
いまでも想定外の出来事に遭遇すると、心臓がバクバクすることもあります。
それでも、大きく深呼吸をして、プラス面(自分を支援してくれているヒト・モノ・コト)を探しているうちに、落ち着いてきます。
そして、自分に声をかけるんです。
「よくやってるねー、成長してる!」
って。
夢を叶い続ける人生にシフトするには、自分の小さな成長を見逃さず、1つ1つ花マルをつけることが不可欠です。
『できない自分』ではなく、『できるように前に進んでいる自分』にフォーカスして、思いっきり褒める!
「今日もnoteを綴ることができた」
という達成感も、自分の成長に花マルをつける習慣化につながるんですよね。
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ちょっとしたことで自分のすべてが否定されたように感じていたころに比べて、ずいぶんと生きやすくなりました。
人から❌をつけられないように必死だったころは、「生きづらい」という気持ちすら、言語化できていなかったのに、ね。
「本当は、どうしたいのか?」
自分に向き合えるようになりました。
過去はどうあれ、
「これから自分は何をしていくのか?」
前向きに考えられるようにもなりました。
『できたら⭕️、できなかったら❌』という囚われから卒業できたのは、『できるかどうか(結果)』ではなく、『やろうとするかどうか』を自分で評価できるようになったから。
うん、成長している、私。
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noteを続ける素晴らしさは、こんなふうに自分の成長を言語化できることにあると思っています。
そして、共感のコメントをいただけることも、大きな励みになっています。
スキを残してくださる皆さまも、いつも応援をありがとうございます。
** ご縁に心から感謝いたします **
「私が私である」ことの確信へ導く魔法使い
御影石 千夏
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