SNSで自分よりリッチな人を見てどう感じるか
幼少期に抱いた違和感。
私はピアノを3歳から習っていたのですが、ある程度、上手くなってくると
コンクールに出なさいと先生から言われます。
音楽を楽しみたいだけなのに何故コンクールに出ないといけないのか。
コンクールが怖くなってしまい、その音楽教室は辞めてしまいました。
小学校の頃、授業では先生が問題を出します。そしたらみんなが一斉に手を上げて答えを解答します。一番早く正解を答えた人が偉いみたいな。私も負けじと手を挙げていました。
また、勉強だけしていればいいのかと思いきや、運動会というものが開催されます。リレーや徒競走で運動能力が高い男の子は女の子からすごくモテた記憶があります。
私は幼少期から競争に対する違和感を抱いていました。
というのも、幼いながら、みんなに負けたくない、負けるのが嫌いという思いが強すぎた。
悔しいことが物凄く辛いから、競争を嫌っていました。
負けることが嫌だから競争したくなかったのです。
皆様もご存知のように、中学から高校、大学と進学しても常に競争は存在します。
何なら、就職しても競争です。
ほんといつまで競争するのよ???
とか思いながらも、やっぱり負けたくないから頑張っていました。
何故負けたくないのか?
それは負けたという自分を認めたくなかったからです。
しかし、気付きました。
これは幻想だと。
私の思い込みによる虚像だと。
そもそも、負けって何?
私たちは小学校の時から競争社会にいたのです。
何となく、勉強のできる子、運動ができる子、お金持ちの子という分類があって見えざるカーストがありました。
自分は他者との比較によって定義されるものです。
この地球上に自分一人しか人間がいないとすると、比較対象がないので
優劣はつけられませんよね。
人間がこの世に多数存在する限り、比較による劣等感から目を逸らすことはできないと思います。
幼少期から他人と比較して、自分はどうか、優劣をつけられていた。
と思っていたのですが、実は・・・
「負け」は自分が作り出した虚像であり、幻想だったのです。
優劣を感じるのは自分次第。
つまりは自分が自分に対して優劣をつけていたわけです。
お金を稼げない≠負け
他の人よりも稼げなくたって、自分が生活していけるだけのお金を稼ぐことができたらいいじゃないですか?
隣の人が高級車を乗っていようが、私は軽自動車を乗ればいいのです。
本来ならば軽自動車でも事足りるのに、隣人が高級車だと負けたような気がして、私も高級車に乗りたい!ってなる。
しかしながら、軽自動車は決して負けではないはず。
高級車も軽自動車もカテゴリとしては「車」なんだから(?)ただの移動手段です。
そう、隣人も私もカテゴリとしては「人」
競争するかは自分次第なのでわざわざ競争しなくて良いじゃないですか。
隣人は「人」なんだからむしろ仲間だと思いましょう。
(これがアドラー心理でいう共同体感覚なのか?)
‥と言ってみるけども、Instagramでキラキラ女子とか見ると羨ましいな〜とか思うこともあります😅💦
それでも、以前と比べてムキー!とはならずに冷静にいられるようになりました。
InstagramなどSNSで他の人の生活をのぞき見できる時代です。
資本主義社会である以上、格差は存在するため、
自分よりもリッチな人を見てどう感じるか、
メンタルコントロールするのは本当に重要だなと感じます。
現代社会で生きていく上で必要なスキルだと思います。
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