2021/4/14 「文章の中か、上の世界」
部屋に飾ってある額縁に誘われて、約9年ぶりに開けてみることにしました。右上の方、今もそっちを見ると視界に入ってきます。でも今日は誘ってこない。どうしてこないだは、こっちを見つめていたのでしょう。
流石に9年もの時が経つと、埃がかなり覆い被さっていて。でもなんだか白いんです。汚いって感じじゃなくて、それよりも興奮が勝ち誇った顔をしていて、別世界に行くかのようで。映画とか物語の中で、登場人物が埃を払って何かを読んだり見つけたりするときの気持ちが、わかったような気がします。そういうときの埃はもはや、誘いの使者ってかんじ。なのにお掃除のときは、ただの邪魔者。埃も可哀想だなと、今初めて慈悲心が生まれました。
と、まぁ開けてみて、やはり。賞状の裏から、小学生の時に書いた作文の原稿が出てきました。狭い場所に閉じ込められ、息をし続けて約9年。当たり前に黄ばんでおりました。でもこの黄ばみ。肌が茶色くなってしまうより、格段に好意の持てる日焼けです。さらに、小学生の時に書いた字も追加され、私にとっては、かなり味のある作品になっておりました。
原稿は2つ。小学1年生と、小学6年生の時のもの。題名はそれぞれ、「どうぶつたちに会ったよ」と「小さい体のキセキ」でした。6年間でそんなに変わるか。と、書いた張本人である私、驚きを隠すことができません。でもとてもかわいい。初見、大満足です。
続いて、1年生の私が書いた作文から読みました。アシカを見たらしく、「私より大きくて太っていたので、びっくりしました。」、ペンギンを見たらしく、「くちばしで自分の身体をかいているしぐさが、一生けんめいおしゃれしているようでした。」、カピバラを見たらしく、「しいくがかりの人が、えさをおこうとした時には、もう食べていました。くいしんぼうなんだなと思いました。」と書いてありました。
もし、今の私がこの文章を書いていたらドンびいてしまうけど、一読者になった今、すごくこの文章が愛くるしくて、思わずにやけてしまいました。21歳の私は何を見ても、「かわいい」としか言えず。この頃の、目の輝きを、取り戻してほしいと思いました。
この何とも言えないワクワク感を手放さず、続いて6年生の作文を読みました。
全く、覚えがない内容。ただ、読み進めていくにつれ、苦し紛れに書いたような、いないような。いや、書いたなと、確信に変わっていきました。よくもまぁ、こんな嘘を書けたもんだなと我ながら感心したけれど、でもそれだけ。特に何の感情も沸きませんでした。選んだ方も選んだ方。約9年越しに努力賞の理由が分かりました。
「太陽の光が籠に当たって、その瞬間、私の飼っていたペット、ゆきちゃんが元気になりました。」ってそんなわけあるかい。と軽くツッコミを入れて、でもその後に、「うまく書きたかったんだろうな」とちょっとした親心が生まれました。当時の担任の先生や審査員の方の、気持ちの変化を、辿ったような気がします。
文章の中だか上だか、まぁその辺で生きていきたい。
これは本当に素直な気持ち。「それってどういうこと?」って考えを巡らさず、出てきた言葉です。これからも大事にしていきたい、大切な、ほんとうです。
でも、ひとつ。私が生きたい「文章の世界」っていうのは、現実世界を生きていないと生まれないものだって気付いたんです。私のいのちと、身体と、感情と、いろんなものが一つになって「川野真美」として生きて、笑ったり泣いたり、怒ったり羨んだりしないと、文章の世界は生み出せない。
だからちゃんと生きようって、思いました。現実世界に生きてて、いいなって思ったものを、文章の世界に閉じ込めていこうって思いました。
そりゃ、ここは、美しくなるわなって。
これもまた大事だから閉じ込めて。他の人にも住んでもらえたら嬉しいし、これより幸せなことはないだろうと思います。
またね👋