胃腸炎で学校を休んだら親が離婚した
本当の父の記憶はほとんどない。
占い師にも「あんたは父親との縁が全くない」と言い切られたくらいには、父親という存在が縁遠いものだった。
だからここで書くのは、私の二人目のお父さんの話。
ただ、母の再婚相手というだけで父と呼ぶにはあまりにも思い入れがないので、ここでは「その男」と呼ばせてもらう。
その男は、どこかの会社の社長さんだった。
母との再婚と同時に家を建てて、新婚旅行は私と姉を連れてハワイに行ってくれた。
だから多分、結構お金を持っていたのだと思う。
ただ二世だとか何とかで、母はその男を「お飾り社長」と揶揄することが度々あった。
その意味は分からないけど、母はあまりその男のことが好きではないのかなと幼心に思っていた。
そんな日々が続いて1年だか2年だかが経った頃、私は胃腸炎で小学校を休んだ。
仕事を休んで家にいてくれた母は、お昼ご飯にたまごうどんを作ってくれた。
くたくたに煮込まれた柔いうどんは、荒んだ胃に温かく沁みる。私は大好きな母のうどんが食べられたのが嬉しくて、今日は休めて良かったなぁと呑気に思っていた。
そんな折、ガチャっと鍵の開く音が聞こえた。
そしてドアが開き、チェーンに引っかかってドアが開き切らない音も続いた。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
「チッ、何時やと思ってんねん」
舌打ちをした母がインターホンに応答した。
その男は、どうやら「昨晩の飲み会からそのまま友人の家に泊まっていた」というようなことを言っているらしい。
しかし、今は昼。
朝帰りにしては遅すぎるし、二日酔いで会社を休んでいるにしては堂々と帰ってきすぎている。
しかも私が知らないだけで、そんなことが度々続いていたらしい。
母はそのことに激怒し、その男を締め出した。
絶対に鍵は開けない!出ていけ!と喚いて、窓のシャッターまで閉ざした。
えぐいことするなあ、と思いながら私はうどんを啜り続けていたのだが、当時の家にはひとつだけシャッターの付いていない鍵付きの大きな勝手口があり、その男はそこからの侵入を試み始めた。
開く勝手口。
焦って駆け寄る母。
勝手口のドアが開いたり閉まったり、拮抗した戦いが続く。
力ずくで開けるその男。
負けない勢いで阻止しようとする母。
そして振り向いた母が私に叫ぶ。
「あんたも手伝って!!!!」
なんでだよ。
なんで胃腸炎で学校を休んでいる私にそんな力勝負を頼むんだ。
しかし私は娘である。
本能的にその男から愛する母を守らねばという意識が働いた。
気付けば私も走り出して、勝手口のドアを握って引いていた。
もちろん胃腸炎の私が何の戦力にもなれるはずがなく、そのままの膠着状態が続いたが、母の「離婚届に印鑑を押すなら家に入れてやる」という言葉でその場は一時休戦となった。
ここで私は胃が痛みだし、二階の自室へ駆け込んで眠りについた。
母が「こんなん手伝わせてごめんな」と言ったので、「ほんまやで」と思った。
起きると離婚届に判子が押されており、それからすぐにその男はいなくなった。
胃腸炎で学校を休んだばかりにとんだ修羅場に遭遇させられたものだと、私の記憶に色濃く染み付いている思い出だ。