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しんどい環境からは一刻も早く逃げるべし【適応障害を脱出した私の1年後】真面目人間のご自愛日記
昨年、会社の人間関係が原因で適応障害になった。
とんでもねぇ部下を投入されたのだ。
症状が出始めたのは夏頃で、死にそうになりながら改善を訴えたが、上層部の方々はなぜか何年も働いていた私の意見を一切聞き入れてくれず「それぐらいテメーが我慢しろ」の一点張りで改善がなく、そのうちCOCO’Sのスープバーもうまく入れられなくなり、上手く入れられなかったスープを左手にぶっかけて火傷をするくらいにまでは症状を悪化させた。
やっとの思いで病院に行き、適応障害と診断されたのが昨年11月下旬で、そこから人事の動きがあまりにも遅くて休職できたのが12月中旬。
ちょうど1年前は、適応障害になりました、ということを親友に打ち明けた時期だった(それについて書いた記事はこちら↓)。
なぜか前職の会社は、人事が人事の仕事を疎かにしていたゆえ、私は地べたを這いつくばりながら、吐きそうになりながら、自然と出てくる涙を垂れ流しながら休職までの約3週間を働いていたのである。人事、テメーも一生許さねえからな(と悪態をつけるぐらいに本当に元気になりました)。
2月付で退職し、3月に実家へ避難し、4月初旬に担当医から「寛解」の診断を受け、5月下旬~6月頃から、以前からやりたかったライターへの一歩を踏み出した。
自分が適応障害だったことを忘れそうになるくらい、本当にめちゃくちゃ元気になったのだが、先日1年ぶりにプライベートのXアカウント(いわゆる裏アカ)を見てみると、適応障害と診断を受ける前の私の暗黒ポストが延々と続いていてびっくりした。めちゃくちゃ病んどるやないかい。
・今すぐ辞めていいよって言ってほしい(2023年10月3日)
・もう全部私が悪いでいいから、諸々解放してくれ(2023年9月16日)
・私が嫌いを全面に出すタイプやから怒られるのか?これはもし嫌いすぎて心病むタイプやったら怒られないのか?いやそんなんすんの無理やけど、それって泣いたもん勝ちみたいなことない?不平等じゃない?(2023年9月16日)
すっかり元気になった1年後の私は、疲弊している1年前の私の叫びを見て「もっと早く解放してあげれば良かった」と思った。もっと大事にしてあげればなーと。
そこで、今回は適応障害から抜け出して超絶元気になった私が、1年前の屍の私に対して「こうしたら、ちょっとは今のしんどさマシになるんでは?」と思うことを、過去の屍の私に寄り添いながら挙げてみる。
今、適応障害やその他の精神疾患で悩まれている方にとって、参考でも気休めでも何でもいいから、少しでも救いになる記事になればという思いを込めて。
お前が辞めたところで会社はノーダメ
適応障害になって、私もあらゆるネットで「適応障害 どうしたら」とか「適応障害 休職 過ごし方」とか、そういう文言で検索エンジンかけまくった。恐らくこれを読んでいる人も、そういった文言を検索してこの記事に辿り着いたのだと思う。
私もそういった検索をして、これでもかってぐらい記事を読み漁ったが、そこで見た記事のほとんどで「あなたが会社を辞めたところで、会社は回る」と書いてあった。
適応障害になる人は、真面目で責任感のある人が多いらしい。その点において私は自覚がなかったのだが、他人からの印象は軒並みそう言われることが多かった。だから、きっと私は適応障害になるべくしてなった……と言いたくないが、典型的なタイプだったのだと思う。
「あなたが会社を辞めたところで、会社は回る」
これを読んだとき、正直「そんなわけない」と思った。今思えば自意識過剰もいいとこなのだが、当時の私は一応チームリーダーをしていたし、ろくな引き継ぎもなしに休職に入ったところで、迷惑をかけてしまうし仕事も回らないだろうと思っていた。
でも、半ば強引に1日で引き継ぎ書を作成させられ、休職に入った(人事、約3週間も動かなかったくせに、いざ休職となると早かった。最初からちゃんと仕事しとけクソ)。
結果、私がいなくてもちゃんと仕事は回っていた。
そりゃ、多少は迷惑かかったと思うし、わからないこともあったと思う。でも休職中に、仕事に関して同僚たちから連絡がくることは一度もなかった。一度も。
メンタルやられて休職しているから連絡するな、と上司がみんなに伝えてくれていたからなのか、そもそも連絡するようなことがなかったからなのかは不明だが、私がいなくても仕事は回っていたし、会社も潰れなかった(そらそうだ)。
もし「自分が急にいなくなったら業務が滞るんじゃないか。回らないんじゃないか」と思っているなら、ちょっとお前、自分を過大評価してるんじゃないか? 仕事は他の人が回すし、もちろん会社は潰れない。むしろこちらのメンタルを潰したのは会社なんだから、万が一会社が潰れたとて「ざまぁ」と思ってやればいい。会社は人生の責任を取ってくれないのだから、潔く休職して、有り難く傷病手当を受け取るがよし。
合わない病院、すぐ変えろ
どうにもこうにも体調が優れず「精神科行こか……」と重い腰を上げ、近隣で通いやすい病院を探した。しかしどこの病院が良いのかまったく見当がつかなかった。
ここでも「精神科 ○○(地域名) おすすめ」で検索しまくったものの、口コミが高評価と低評価が入り混じっていたり、口コミがなかったりと、どの病院に行くのが正解なのかがまったくわからなかった。周りに通院している人もいないため、信頼できる評価も見込めずだった。
そんななか「精神科に限らず、どの科でも先生の合う合わないはある。だからとりあえず一番通いやすい病院に行くのが良し」と書いてある記事を見つけた。確かにそうだと思うと気がラクになり、その記事の通り、一番通いやすい病院に行った。
が、残念ながら合わなかった。
初診で違和感はあったものの「こんなもんか?」と思い帰途に就いた。しかし休職前に会社の産業医にその旨を話すと、産業医から見ても私が通院した病院に少し違和感を抱いたらしい。私はよくわからないのだが、産業医曰く診断書が「普通はこういう書き方をしない」と引っかかっていたそうだ。
産業医とじっくり40分くらい話し、新しい精神科の先生を紹介してもらえることになったので、次からはその病院に通院することにした。紹介してもらった先生は私に合った先生で、寛解までお世話になった。医師に限らずだけど、やっぱり人間「合う、合わない」って大事。
※注意
通常、産業医が自分から精神科を紹介してくれることはないらしい。私の場合は、自分から「今の病院が合わない。どこの精神科が私に合いそうか?」と聞いた。産業医が「ここの病院の、この先生なら合いそうだよ」と教えてくれ、自分で電話して事情を話し、予約を取った。紹介状を書いてもらえることもない。そして産業医が診てくれることもないらしい。
「お金がもったいない」とか「初診で行ったから継続して行かないと」とか思わなくていい。しんどくて通院しているのに、休職して(もしくは働きながら)合わないな~と新しいストレスを積もらせていく方がいろいろもったいない。
とにかく、あんたは今あらゆる嫌なこととかストレスをシャットダウンする必要があるねん! つべこべ言わず、さっさと病院変えなはれ!!!
会社とは自分が良しと思うタイミングで縁を切るべし
休職すると、お金の心配は増える。傷病手当を貰っていても、働いていたときより収入は減るので不安になる。そして何より「私、社会復帰できるんだろうか」「今の会社に復帰できるんだろうか。それともこのまま退職?」と、お先真っ暗な将来を考えると、どうしたらいいのかわからなくなる。
私の場合は「正直、傷病手当が惜しいけど、こんな会社と早く縁切りたいから退職する。そして実家に一時避難する」だった。
傷病手当は退職後も申請すれば貰えたが、両親には「もう仕事いやだ。帰らせてくれ」とだけ伝えていて、適応障害になっていることは伝えていなかった。そして今後伝えるつもりもない。そのため、退職と同時に傷病手当は貰えなくなり、代わりにハローワークに通い失業手当を受給し始めた。
ちなみに、精神疾患などが原因で退職になった場合、ハローワークから「これを担当医に書いてきてもらって」と書類が渡される。これを医師に書いてもらって持って行くと、待期期間7日ですぐに失業手当の受給が開始される。受給まで通常2~3ヵ月かかるので、有り難い話である。
そしてこれは、会社から退職理由を「一身上の都合」と書かれていたとしても「それちゃうで」って書くことができる。なんだかうまく説明できないので、そのときになったらハローワークに行って係の人に聞いてほしい。私の住んでいる地域のハロワの人は、どの人も優しかったから全国どこのハロワでもそうであると信じている(無責任)。
傷病手当、社会保険とか諸々<こんな会社の一員で居続けるとか無理すぎる
の式が成り立ったなら、さっさと辞めてしまえ。大丈夫。繰り返しになるがお前がいなくてもご覧の通り仕事は回っているし、会社も潰れていない。お互いウィンウィン! いぇい!
休職期間、ちょっと元気出てきたら
自分のやりたいこと、行きたいところなど、楽しい妄想をするのがおすすめ。私は朝スタバをしたり、本屋で立ち読みしたり、留学先の候補を探して実際に申し込んだりした。
復職するにしても、そのまま退職するにしても「将来自分がどうなっていたいか、何がやりたいのか」に素直に従って行動してみるといいと思う。そこに行きつくまでに、当時の勤務先にいた方がいいなら復職してもいいと思うし、そうじゃないならスパッと辞めてしまってもよい……という選択もしやすい。
私は縁を切りたかったし、私のこの先にこの会社は違うな、と思ったから辞めた。退職してから10ヵ月経ったけど「辞めんかったらよかった~~~」と後悔したことは一瞬もない。むしろ「辞めてよかった~~~~~! うぇ~~~い!!!」と思っている。
実家に一時避難している身なので、寝食に不安がないことも元気になった一つの要因だと思うけれど、前からやりたかったライター業にやっと一歩踏み出せたし、それで良いライターさんたちとのご縁もあったし、負の感情に塗れながら働いていたときより今の方が断然楽しい。生きるの楽しい! と感じられる。
結局、1年前の屍の私に寄り添えているのかどうかはわからない内容になったが、休職して2ヵ月でスパッ(?)と辞めたのは英断だったし、病院変えたのもグッジョブだったし、屍ながらも明るい未来に良い方向で繋がる選択をしていたよ、私。ありがとう、屍時代の私。
来年は半年間、海外留学に行く。
帰国したら一人暮らしして、ライターとして本格的に稼働して、ちゃんと一人で生計を立てる。
で、婚活する(正直これが一番不安)。
屍時代には想像できなかったけれど、ちゃんと元気になって自分のやりたいことができている。適応障害にならないならそれが良かったけど、なってみて自分が何を大事したいかがわかった気がする。
私がこれから私のためにできるのは、この経験を活かして自分を大切にヨシヨシしながら、死ぬときに後悔しないようにやりたいことをやる。そう思うのだった。時間は有限。嫌なことに費やす時間がもったいない。しんどい環境からは一刻も早く逃げて生きていこう。