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「嫌いなこと」に全力で向き合ってみたら「自由」を見つけた話
こちらの記事は、2020年の年末に公開したかったのですが、どうしても全力で向き合いきれず、下書きに埋もれてしまっていたものです。
なぜ引っ張り出してこれたのか、それは私がフォローさせていただいている詢川華子さんが、以前私が書いた「嫌い」と感じたらそれは絶好のチャンス!という記事を大好きだと言ってくださって、こんな形でシェアいただき嬉しくてたまらなくなったからです。
こちらの記事を拝見して、もう一度向き合う勇気が湧いてきました!華子さん、有難うございます😂
今回向き合うのは、私の中でのラスボスと言っても過言ではない「嫌いなこと」。
優しい記事にできる自信はありませんが、お付き合いいただけましたら嬉しいです。
しかもタイミングよく、昨日は立春でしたね。これからが本当の新年の始まりです!年末にできなかったこの難題に再チャレンジしてみせます!
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2019年。
私は人生の大きな決断をしました。
その決断とは「結婚」です。
そしてこの事にはnoteではあまり触れたくないと思っていたため、noteの中で夫について書くときもずっと「パートナー」という言葉を使ってきました。
その理由は、自分の中で結婚したということが、恥だと思っていたから。
まるで、自分の人生軸をへし折ってしまったかのような出来事だったから。
私は昔から結婚したくなかった。
パートナーはいてもいいと思うけれど、どうしても法的な結婚をしたくなかった。
その理由は、色々とあるのだけれど、「自分の苗字を奪われることが嫌だ」ということが結構大きな要因だったように思う。
人によっては、そんなことでと思うかもしれない。でも私にとっては本当に嫌だった。
よくありふれた普通の苗字。
それでも幼い頃からずっと大切にしてきた名前。
この苗字と名前はいつまでもセットだと思っていた。この名前とずっと一緒に生きてきた。
なぜ「女に生まれた」というだけで、名前を変えなければならないのか?
幼い頃から疑問だった。
女の人は、好きな人の苗字になることが嬉しいの?
そうなの?どうして?わからない。
私はずっとこの名前で生きていきたいよ。
だから私は絶対に結婚なんかしない。
小学生の頃からずっとそう思って生きてきた。
それなのに、、、
2019年12月
私は、婚姻届を出していた。
区役所で、彼と一緒に笑顔で婚姻届を提出した夜、私は1人お風呂で泣いていた。もちろん嬉し泣きではない。
事実婚という言葉が出てきたり、渋谷区でLGBTQ、、、の方々のためのパートナーシップ制度ができた時、私はとても嬉しかった。
そういうことが当たり前に認められる時代がもうすぐ来るんだ!と感じたから。
でもちっとも進まない。なんだこれ。
なぜ、選択的夫婦別姓が認められないのだろう。
同じ苗字にしたい人はすればいいし、別々にしたい人は別にすればいい。ただそれだけのこと。
なぜか、国際結婚の場合だけ夫婦別姓が認められている謎。
でも、時代がどうとか法律がどうとか文句を言う前に、自分がそうしたいのなら、その自分の思いを貫き通せばよかっただけのことだ。そういう強い意志を持った人たちは実際にたくさんいるし、そういう人たちを羨ましく思った。私は、自分の気持ちを守ることができなかったから。
そんなに強い思いがあるのなら、付き合う段階から、「私、結婚はしたくないから」と宣言しておくべきだったのでしょう。でも言えなかった。彼の中には当然のように、お付き合いや同棲の先に「結婚」という2文字がしっかりあったみたいで。
それを拒否する勇気がなかった。彼や私の両親からの期待などもあり、気付けば自分の気持ちを無視したまま、あれよあれよと流され、婚姻届を出してしまったのだ。
だから、結婚していることについて話をすると、自分を大切にできなかったこと、自分を裏切ったことを世間に公開しているようでいたたまれない気持ちになってしまう。それが理由で、noteには、結婚のことを書きたくなかったんだと思う。
でもやっぱりnoteは私の本音を自由に描く場所。
だから思いのままに書いてみる。
夫のことは大好きです。
ずっと一緒にいられたらいいなと思います。
家族になりたくないとかそういう気持ちもありません。
夫の苗字が嫌だったわけでもありません。
ただただ、自分の苗字を奪われることが嫌だったのです。
結婚という日本の制度が嫌いだったのです。
そう、この嫌な気持ちに向き合うのがどうしても難しかった。2020年、自分の「嫌い」とか「嫌だ」という気持ちに向き合って、少しずつ心が軽くなってきていたけれど、今まで押し殺して、心のバケツの中に放り込んできた「嫌い」とか「嫌だ」という気持ちは、まだまだ空っぽになりそうになくて。年末ということもあってか、手強いテーマに手をつけたところ、やっぱり難しくて、下書きのまま途中で終わってしまった。
自分の中で向き合うだけなのに、なぜか本当の気持ちを隠そうとしてしまうんですよね。
本当に不思議です。何重にも鍵がかけられている感じで、開けても開けてもスッキリしなくて、奥の奥の奥のずーっと奥にある真の気持ちになかなか辿り着けなくて。
「女性だから」それだけが理由で押し付けられてきたことがたくさんある。
小さな頃からずっとそれが嫌だった。
「女の子なんだから」
そのセリフを言われるたびに理解に苦しんだ。
寒いのに制服のスカートの下にズボンをはいたらダメとか。
ねぇ、それ何のため?
誰のためなの?
頭おかしいよね?
健康より大事なものってあるの?
え?お釈?サラダの取り分け?
本気で言ってます?
利き手骨折でもしてんの?
ふざけんなよ。
てめぇーでやれよ。
え?なに?女子力?
おまえのために使うために生きてねーわ!
って、もうね、ずーーーーーーーーーっと色んなことに怒って生きてきました。
(もちろん顔には、いつも可愛い笑顔の仮面をつけて。)
そして、こういうことを何も気にしないで可愛くやってのける女が大嫌いでした。
なんでこんなに嫌なんだろう。
「女の子らしく」を大切にしたり、男性に好かれようと努力する女性たちのいったい何がそんなに嫌なのだろう。
幸せそうに旦那さんの苗字を名乗っている人がいる中で、どうしてこんなにも苗字を奪われることが、強烈に嫌だと感じるんだろう。
女だからという理由だけで、嫌な体験をしてきたからだろうか???
制服のスカートは寒くて嫌だ。
男性に支配されるのは嫌だ。
学校の先生に性的な対象として見られるのは気持ち悪い。
女の人ってこうだよねってひとくくりにする人が嫌い。
家事や育児を女性がするのが当たり前だと考える人が大嫌い。
結婚や出産こそが女の幸せだと思っている人が大嫌い。
ちょっとおむつ取り替えたくらいで、ちょっと料理しただけで男の人が褒められるとムカつく。
こういう「嫌い」が私の心の中にはいっぱい閉じ込められていた。
これらの嫌いに対する激しい気持ちを思いっきり溢れさせてみたら、見えてきたことがある。
それは、、、
私はお母さんみたいになりたくない!!!!!
これだ。
そう、たぶん、根っこはこれなんだ。
だから、ずっと向き合うのが難しかった。
だって、母は私の尊敬する女性のはずだったから。
なんでもできるスーパーマンのような。
いつもいつも誰かのために。
いつもいつも子どもたちのために。
彼女は頑張っていた。
還暦を過ぎたいまでもそう。
ずっと誰かのために頭と心とからだを動かし続けている。
彼女の周囲への貢献度は娘の私から見ても常軌を逸していると思う。
だから尊敬せずにはいられないのだ。
だって、かっこいいんだもの。
あそこまでできる人が他にいるだろうか。
色々書いたらキリがないし長くなるので書かないけれど、あんなに周囲へ尽くす人を私は母以外には知らない。誰もがある程度の線引きをして、どこかで自分を守りに入るのではないだろうか。
周りに尽くすことが母の幸せなのだろうか?
ふと、そう考えたこともある。
確かに周りの人に喜んでもらえることは嬉しいこと。でも、自分を犠牲にした貢献は、いつか限界がくるはず。私は何度もその限界を迎えて、心を病んだ。なぜ、母は壊れないのだろうか。わからない。わからないけれど。
でも私から見た母は、幸せには見えなかった。
苦しそうだったし
悲しそうだった
父に支配されているようにも見えた
これがお母さんの幸せなのって笑顔を見せられても、私にはわかってしまう。
本当は母の心が満たされていないことが。
それでも、いつのまにか、そんな母の姿が、正しくて、それがいいことなのだと私は思い込んでしまっていた。
そして気付けば、そんな母を幸せにしたくて、私も自分を犠牲にして母のために生きていた。
でも私はすぐに心が壊れてしまうから。
ついに降参したのだ。
降参した今、私は思う。
自分のやりたくないことで誰かを喜ばすのではなくて、自分の好きなことや、やりたいことで、周りの人や社会に貢献していきたい。
母の生き方は母が決めること。
私がどうこういうことじゃない。
ただ、それを見て育った私は、「お母さんみたいになりたくない」ときっとどこかで思ったはず。だけどまだ幼い私は、その感情はなんだかいけないもののような気がして、「いつも人のために行動をしている母を尊敬している」という綺麗事を上からべったりと重ね合わせることで、「お母さんみたいになりたくない」という気持ちを隠蔽したのだ。
自分では上手く隠蔽したつもりでも、水面下ではごぼごぼと音を立てて、「お母さんみたいになりたくない」の感情が暴れていた。だから、結婚したくない、男性に支配されたくない、苗字を変えたくない、サラダ取り分ける女大嫌い!という症状に見舞われていたようだ。
今まで私にもサラダを取り分けてくださった優しい方々へ。あなたは何も悪くないのに、これは私の心の問題なのに、、、心の中で嫌ったりして、本当にごめんなさい。ありがとうございました😭
私の鏡になってくださっていたのですね。全然気付けませんでした🙇♀️
きっと私の中には、「結婚したら母のようになってしまう」という思い込みがあったのかもしれません。
だから、「お母さんみたいにならなくてもいいんだよ」って自分にそっと話しかけたら、なんだか気持ちが楽になってきました。
「結婚したからって、お母さんみたいになるわけじゃないし、夫婦の形って、夫婦の数だけあって、2人で好きな形をつくっていけばいいんだよ」って自分に言ってみたら心が満たされました。
そして「苗字を奪われるのが嫌だ」という裏には、「国や政府や法律や、文化、システム、常識、ルール等に支配されたくない」という気持ちも隠れていたんですよね。
だって「法律に従いたくない」なんて、なかなか大きな声で言えないじゃないですか。なんか犯罪者みたいで。
どうやら私は小さな頃からずっと「自由」を探していたようです。
だから、母みたいに苦しくなってしまいそうなことや、自由から遠ざかってしまうんじゃないか?と思われるものを無意識に嫌って、避けてきた。
だけど、こんなルールおかしい!って怒ってイライラするのは自分の寿命を縮める行為。当たり前だけど、ストレスは体に良くないし、そういうイライラは、さらにイライラすることを引き寄せる。
色んな人の男尊女卑な発言や、行動にとにかく敏感になってしまって、そういうものばかりが目に飛び込んできて、イライラする。
もう、それこそ本末転倒。
どんどん自由から遠ざかってる。
いったい何を探しているのかもわからないまま、ずーっとずーっと探し続けてきた「自由」。
それが自分の中にあったなんて、「なんだか眼鏡かけたまま、眼鏡探してたわ」って気分で笑っちゃうけど。
自分の中のいろんな思い込みとか、フィルターとか、ルールを剥がしまくって、どんどん捨てて、時々燃やして。笑
そうやって、綺麗でピカピカの生まれたてのクリアな心で世界を見渡せば、この世界には自由と愛と感謝がたくさん溢れてるんだって実感できるんですよね。
マイペースに剥がして、捨てて、時々燃やして、生まれたばかりの頃のようにピカピカに磨いていこうと思います。
なにかあったとき、視点を変えたいとき、私は宇宙規模でその出来事を観察してみるっていうことをよくします。そうすると最後には、どうでも良くなったり、うまくいってるなって思えたりするんです。
確かに、私の苗字は区役所のデータ上で、書き換えられた。でもそんなの宇宙から見たら、ちっぽけすぎる出来事。たくさんの惑星がある宇宙の中の地球という星に住む人間たちが勝手に作った国とかいう集合体の中の小さな日本っていうところが管理している戸籍とかいうシステム上で、私の苗字が書き換えられた。ただそれだけ。私は今まで通りのお気に入りの自分の名前を自由に名乗ればいいだけだ。そうしたいならそうすればいい。
そもそも、私たちに本当に名前は必要なのだろうか。これも人間がはじめたことで、植物や虫や動物たちは、名前なんかなくても今を懸命に生きているわけで。ハトやゾウやウサギやフクロウとかいう分類も勝手に人間が作っただけで。本来ただ、命あるものとして生きているだけでいいのではないか。
そんなふうに思いました。
▼嫌いリストの中のこの部分について
・家事や育児を女性がするのが当たり前だと考える人が大嫌い。
・結婚や出産こそが女の幸せだと思っている人が大嫌い。
つまり、私は、偏った考え方をする人が許せないんですね。だからそれを自分にも課しているんです。360度いろんな角度から物を見ようと、常に全体を把握しようとして疲れているんですよね。そもそも、100人いたら100通りの考えがあって、みんなそれぞれどこかに偏っているはずで、全ての見方を考えるなんて到底無理なのに。だいたい、私が嫌っていた上記の方たちからしたら、まさに私こそが偏った考え方をしている人間ですよね(笑)この方たちの立場で考えたら、私はかなり変な人に見えることが容易に想像できます。
noteを書く時にいつも思うのは、誰も不快にさせない記事なんて絶対に書けないということ。
だから、みんなそれぞれ自分が書きたいことを素直に書けばいいんですよね。
みんなそれぞれ育った環境や見てきた風景、体験、感じてきたことが異なるだけなんですよね。1人1人違うから、だから面白くて。あの人の考えも、私の考えも、みんな正しくて、みんな素晴らしくて。
それに、、、私が嫌っていた「結婚や出産こそが幸せという人たち」がたくさんいてくれて、そして中には、そうは思わないのに、それが普通だからという理由で「辛い思いを抱えながらも、結婚・出産をした人たち」がいてくれたからこそ、人類が存続し、私が誕生し、大切な兄弟や、大事な友達、大好きなnoteで出会った大切な皆さんと日々を楽しむことができているんだよなぁ〜って思ったら、、、
もう、感謝しかありません🙇♀️
みなさまの歴代ご先祖様に心よりお礼申し上げます。
本当にありがとうございます✨
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さて、強烈に嫌いなことに全力で向き合ってみて、今結構すっきりしておりますが、今回の「嫌い」には、なんとなくまだ他の向き合い方もできそうだなと、本当になんとなくなのですが、そう感じています。いったいどんな向き合い方があるのか現時点では、全く思い浮かばないのですが、まだ他にもいろんなことが複雑に絡み合っている気がしてならないのです。
なので、その時がやってきたら、また書きたいなと思います。
最後までお付き合いくださった方々、本当にありがとうございました✨
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