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Glimpse of Us

Jojiというラッパーを知っているだろうか。彼は日本人とオーストラリア人の両親を持つ、88 Rising所属のラッパーだ。
彼の音楽はとても叙情的で、いつも私の琴線にこれでもかと言うぐらい触れてくる。美しい静かなメロディーに、悲嘆な思いが詰め込まれた歌詞がとてもよく合う。私は彼の儚い歌の数々が本当に大好きなのだけれど、中でも特に好きな曲がある。Glimps of Usという曲だ。
Glimpse of Usは日本語に訳すと「私達の面影」という意味になる。現在交際中の恋人がいながら、常に昔の恋人の存在を感じてしまうという歌だ。私はこの曲を聴く度に、かつて大好きだった人のことを思い出してしまう。

私と彼が出会ったのは今から6年前だ。大阪府下でも有数の進学高を中退し、大学受験へのモチベーションを完全に失った私は毎日言語交換アプリで色んな国の人とチャットをしていた。大好きな英語で異国の人とコミュニケーションを取っているときは、自分が今置かれている最悪な状況から逃れられる気がした。

ある日タイムラインに「大阪に住んでいる人いませんか?」という投稿を見つけた。彼の投稿にリアクションすると、すぐ返事が来た。私たちは好きなバンドが同じだったこともありたちまち意気投合し、「今度会おう!」という約束を取りつけた。

約束当日の日、ウキウキして彼が指定した待ち合わせ場所に向かうと、全身刺青の入ったタンクトップを着た男性が私を待っていた。中学生で海外のバンドにハマってから、エモやグランジといった海外のファッションに強い憧れがあった私にとって、彼はまさに理想の相手だった。これまで男性と遊んだことがなかった私は、まさか初デートの相手がタトゥーが全身に入った外国人になるなんて!と思い、興奮と嬉しさで思わず駅構内を全力ダッシュしたくなった。
最寄りのスターバックスで席に着くときに私が置いた鞄を見て、彼は「僕もAdventure Time好きだよ!」といった。今まで私がリュックサックにつけている缶バッジがAdventure Timeのものだと気づいた人は誰1人いなかった。自分の好きなものを理解してくれる人に出会えたことは、高校を中退し友達と疎遠になり、家族仲もどんどん悪くなっていた私にとって一筋の光が刺した瞬間だった。

私と彼はそれから何回も会った。初めて会ったときは緑色だった私の髪の毛も、受験が近づくにつれて黒髪に染め直さなければいけなくなった。大好きだった派手髪を黒髪に染め直したことは、ありきたりな日本の価値観に染まってしまったようで悲しかった。そんなときに彼は黒髪の私を見て「Hannahみたいだね。」と言ってくれた。Hannahとは私と彼が大好きなBring Me The Horizonというバンドに属するボーカルの元奥さんだった。Hannahは中学生の頃から私の理想の女性で、いつかHannahみたいに体中をタトゥーで埋め尽くすのが私の夢だった。彼がHannahみたいといってくれるなら、不本意だった黒髪も好きになれる気がした。
彼は私と付き合う気はさらさらなかった。彼に会う度に「そろそろあなたの彼女にしてくれる?」と聞いたけれど、その度に「いつか国に帰るかもしれないし。」とか「大学に行ったらもっといい人が見つかるよ。」と言ってはぐらかされた。いつまで経っても彼にとっての1番になれないのは辛かったけれど、せめて彼の5番手ぐらいにはなれているだろうと思って自分を慰めていた。

大学受験も2ヶ月後に差し迫ってきた頃に「もう僕達は会わない方がいいと思う。」と彼に言われた。その言葉は本当にショックで、もう生きていけないと思うぐらい私の心に突き刺さった。同時期に「このままじゃ志望大学には到底合格できないですよ。妥協して入った大学で、あなたが思い描くような大学生活を送れるとは思えません。」と塾の先生に厳しいことを言われたこともあり、それから私は死ぬ気で勉強するようになった。彼と会えない寂しさを、自習室に朝から晩までこもって赤本をひたすら解くことで紛らわせた。その甲斐あってか最後に受けた河合模試ではE判定だった第1志望の大学に私は奇跡的に合格し、晴れて憧れだった大学に通うことが決まった。

春からのキャンパスライフに心躍らせていた頃に、彼から「久しぶり!」とLINEが来た。そのときの私の嬉しさは、この世の言葉を全て使っても表せないほどだった。「大学には合格した?」と彼が聞いてくれたので「第1志望の大学に無事合格したよ!」と伝えると「さすが!これからも頑張ってね。」と返事が来た。そのLINEをきっかけに、また私達は会うようになった。

彼は「彼女ができた。」と私を突き放しては、数ヵ月後に「元気にしてる?」と私にLINEを送ってきた。何度も何度も激しい感情の浮き沈みを経験して、私の心は砕け散りそうだった。けれど私は、自分が1番孤独だったときに私を見つけてくれた彼のことが本当に大好きだったので、どれだけ苦しい思いをしても彼と一緒に過ごせる時間が1秒でも長いなら幸せだと思い我慢した。東京に引っ越した彼の元に逢いに行くんだと大学で新しくできた友達に伝えると、「私が応援できるような恋愛をしてほしい。その人と希が仮に上手くいったとしても、私は心の底から応援できない。」と言われた。「今までこんなに自分のことを心配してくれた友達はいなかったな。」と思ってとても嬉しかったけれど、私は目の前にいる大切な友人よりも彼のその場しのぎの甘い言葉を信じることを選んだ。彼は私のことを全然好きじゃないのは頭ではわかっていたけれど、そんな辛い現実は絶対に認めたくなかったし、彼に認めたとしても、私が彼のことを心底好きなのもまた事実なので、もうどうにでもなれと思っていた。

そんなある日彼から映画でしか聞いたことの無いような信じられない暴言を含んだ英文で綴られたメッセージが届いた。私の崩壊寸前だった心は、そのときついに粉々になった。それでも彼のことは嫌いになれなかったので、「わかりました、もうあなたには連絡しません。これからも頑張ってください、応援しています。」といったような内容を送り、LINEの友達から彼を削除した。ブロックはできなかった。

私が男遊びをするようになったのもその頃だった。「男の傷は男で埋める。」と擦られまくった通説を心から信じて、とにかく遊びまくった。色んな人とデートを繰り返したけれど、私の心の空洞は決して埋まることはなかった。会う人会う人に彼の面影を探していたし、私が好きになるのは毎回決まって彼に似て私を粗末に扱う男性だった。

大学4年間はとにかくマッチングアプリに捧げたと言っていいぐらい常に誰かとデートしていた私だが、当時使っていたほぼ全てのアプリで彼を見つけた。「え?こいつはほんまに何をしてんの……」と彼を見つける度に私は嫌な気持ちになったけれど、今思えば彼も昔好きだった女性の面影を探し続けていたのかもしれない。彼を見つけてライクするときもあったし、しないときもあった。遂に彼とマッチしたときには「久しぶり!」とメッセージが来て、「こいつは一体どういう心境でこれを送れるんだ???」と心底理解できなかったけれど、「いつかきっと希にふさわしい人が見つかるよ。」と彼は私に言ってくれた。

マッチングアプリを介して知り合った男性は絵に描いたようにどうしようもない人達ばかりだった。そんな人と会う度に私の心はぼろ雑巾のようになったけど、1ヶ月も経つと私はまた次の人とデートに出かけた。毎回死ぬほど傷ついたけど割とすぐに次の出会いを探すことができたのは、きっと彼らが私のことを露ほどにも気にかけていなかったということをしっかり理解していたからだろう。
色んな男性にぞんざいに扱われる度に私は彼のことを思い出した。「彼はこんなに酷い人ではなかった。」と毎回違う人と彼を比べた。仮に彼がみんなの言うように心底クズ男だったとしたら、どうして彼は私の誕生日にご飯を作ってくれたり、私と会うときはいつも車道側を歩いてくれたり、「希に似合うと思ったから。」と言ってチョーカーをプレゼントしてくれたりしたんだろう?彼から受けた僅かばかりの優しさは、どう考えても彼が私にしてきた仕打ちを一掃するには無力すぎるのに、私は彼を嫌いになることができなかった。

私は自他ともに認める真面目な性格なので、男遊びなんて全く向いてなかった。色んな人と会う度に心をすり減らし、大学卒業間際には閉鎖病棟に入院したり自傷行為で救急搬送されるようになった。私が命を絶とうとする度に、大好きな友達や家族に心配や迷惑をたくさんかけた。日に日に周りを失望させ続ける自分のことが本当に嫌いだった。その一方で、どんなときも私を支え続けてくれた周りの理解ある人達の言葉よりも、数日前に知り合ったネット上の男性に言われた最低な言葉の数々を私は信じ続けていた。「今のままやったら、ほんまにみんな離れていくで?」「別に男遊びをしているからといって希ちゃんを嫌いになることはないよ。ただ希ちゃんってもう最後にしたいっていつも口ばっかりで、結局変わる気はないんやなって思う。」と大好きな友達に言われて、「このままだったら私にとって本当に大切な人達を失ってしまう。」とやっと気づいた。それから私は名前もよく知らない人と夜な夜な会って始発で帰るのをやめた。

彼と知り合い、そして彼と別れてから常に誰かと遊んでいた私にとって、1人きりの時間を過ごすということはとても難しかった。でも大好きな映画をたくさん観たり、ずっと好きだった芸人さんのお笑いライブに行ってみたり、久しぶりに本を読んだりするにつれて「ああ私は本当はこういうことが好きだったんだよな。」と思い出すことができた。よく考えれば彼と出会う前の18年間は、1人で趣味を楽しんだり大好きな友達と遊んだりする時間を心の底から楽しめていた。彼との出会いと別れを経て、私は常に誰かに夢中になっていないと生きていけないような、自分を見失った空っぽの人間になってしまっていた。

次の誕生日で私は24歳になる。彼と初めて出会ったあの日から、もう6年も経ってしまった。彼と出会わなければ、私の大学生活はきっと180度別物になっていただろう。でも私は今でも彼を心の底から嫌いになることができない。彼と歩いた大阪の街並みや、私達が大好きだったBring Me The Horizonの曲を聴く度に彼と一緒に過ごした日々を思い出してしまう。でももう昔の美化された思い出に固執し続けるのはこれで終わりにする。彼が私に最後に言ってくれたように、本当に私にふさわしい人にこれからの人生で出会っていくためにも。

たくさんの素敵な思い出をありがとう。あなたのことが本当に大好きでした。あなたの隣に今、この先幸せな半生を共に過ごしていけるような、素敵な誰かがいますように。

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