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体調を崩して見つけた、私らしいヘルシーな暮らし
えらく今回は風邪が長引いている。
喉の痛みで睡眠が阻害されることは、のどぬーるぬれマスクという画期的アイテムによってなくなったけれど、朝起きた時の頭重感に絶望を感じている。”37.5”と示す体温計にも驚かなくなったし、1日3回何かしらの薬を飲むことにも慣れてきた。
健康であることって、幸せなんだなとありきたりなことを思い浮かべる。微熱とがらがら声のまま、昨日よりも少し軽くなっただけの体で今日は仕事に行く。
世の中には、失って気づくものがたくさんある。だから、今目の前にある当たり前だと持っているものは大切にしようと思っている。それでもやっぱり気づかないことってある。
普段なら、一度スマホを開けてしまうとざっと使用しているSNSを開き、時間を溶かしてからはっとする。それに嫌気がさすことが何度もあるくらいだ。でも、体がしんどいと悲鳴をあげているとそんな刺激物は摂取したくなくなることに驚いた。
・・・
上記はちょうど一週間前に書いていた。
それから、ようやく通常運転に戻れるという体調まで回復してきた。ここまで長かった。
体のだるさが抜けても咳が残り、発作的に咳が出ると過呼吸に陥るほど続くこともあり、業務に支障をきたすこともしばしばあった。
動けるのに、咳で体力は消耗し、やる気も削がれていく。
そうなるといろんなことがどうでもよくなってくるのだ。
外出するときは少しは整えるけれど、髪の毛もぐちゃぐちゃ、顔も覇気がなく目も腫れている(睡眠時間は充分なので肌はつやつや)、ほぼ一日中パジャマで生活。おまけに机の上は薬箱や必要に駆られて出した専門書が数日置きっぱなしなど。
とても”暮らし系インスタグラマー”とは思えないような有り様だった。
やっと「そこそこ元気」と言えるひさしぶりの休日。
少しずつ部屋の片付けと掃除を始めた。
生活しやすいように整ってくると気持ちも明るくなる。
少し離れていたInstagramのチェックもできるようになってきた。自分のフィード投稿を見て、「こんな生活してたんだ」とちょっと苦笑してしまう。
タイムラインやおすすめ欄にはきらきらした美しい暮らしで溢れている。
暮らしに限らず、ファッションにしろ美容にしろ、どこかで憧れ「こうならなきゃ」と思わされていることも多いだろう。私もそうだから。
ほぼ一日パジャマで過ごしても、
机が見えないくらい物で溢れていても、
ごはんがお粥と残り物スープでも、
その日の自分が欲しているものならその日の正解かもしれない。
休みの日に家にいると、
一日を生産的に過ごさないといけないという
衝動に駆られることも多いけど、
それは真に持続可能性のある行為ではないことも多い。
私が私らしくあるために、毎日何かに追われるように過ごすのはヘルシーではない。
体調を崩して何もできなくなったとき無力感に襲われた。重い体を起こして、”やらないといけないこと”をやろうとしている自分に気づいたとき、普段どれだけ「一日でどれだけタスクをこなせるのか」を重要視していることに気づいた。結局は体を起こすのも辛くて、だらだらと布団の中で一日を過ごしてからようやく一旦立ち止まるということも必要なんだと分かった。
美しくあることも本当に自分に必要なことなのか?
完璧じゃなくても自分にとって心地よい選択をすること。
その心地よさとは、持続可能性のあるもの。
少し立ち止まって、私らしい暮らしが明確になった。
身体と心が健康であるように、自分と対話しながらケアしていくのが大切だ。もちろん元気なときは自分ができるがんばりをしてもいいだろう。
ただ、その日疲れているなら、少し早めに布団に入るだけでもいいし、読みかけの本を1ページだけ開いてみるのもいい。
完璧を目指さず、小さなケアを重ねていく。
そんな生活が私の指針になりそうだ。
﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏
愛おしい日々のキロク
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