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自分のためじゃないから、満たされること


両手いっぱいに袋を持って電車に乗り込む。
家を出るときは肩にショルダーバックをかけているだけだったのに、思いがけずたくさんの紙袋を持つことになってしまった。

座席に腰を降ろし、大切ないくつかの紙袋はそっと膝の上に乗せる。そのときに物を落とさないか幾分慎重になる。ようやくひと息ついて膝に乗った紙袋を軽く抱きしめて、改めて心が満たされていることを感じる。
それらは自分のために買ったものではないけれど、不思議と胸がいっぱいで気づいたら頬がゆるんでいた。



最近、友人などへ贈り物を選ぶことが何より楽しく感じる。

自分のために買いたいものなんて案外限られている。
これは自分には似合わないとか、置くスペースがないとか、いろんな理由をつけて踏みとどまってしまう。

素敵なものは世の中にたくさんある。これがほしいと思わなくもない。
だけど、いざそのものを目の前にすると、自分のために買うにはなんだかもったいないようにも感じてしまい、結局売り場をあとにする。


友人の好みや生活スタイルを思い浮かべる。ふと目に止まったものを手にとってぐるりとまわして眺め、「好きだろうな」「似合うだろうな」などそれを使う様子を想像を膨らませる。もしかしたら、もっと「これだ!」と思うものもあるかもしれない。
そうやって、売り場を行き来、なんならいろんな店舗を探しまわる時間は特別だ。

その過程は自分のものを選ぶための頭の使い方ではないし、自分のものさしというものは当てにならない。悩むし見つからないときは途方に暮れることも。
だけど、好みも似合うものもわかっている自分のために選ぶものと違って、ちょっと冒険をすることもできるし、選んだときの感覚と使うという体験と完全な答え合わせができない。それも相まって、「これだ!」と思うものを見つけたときの喜びは図りしれない。

お金を使うことに対しての罪悪感もないし、自分のために買い物するよりも満たされている気がするのかもしれない。気づいたらプレゼントを選ぶという行為を楽しんでいる自分がいる。
そして、贈り物をする相手が目を丸くして喜ぶという光景、相手が笑顔になってくれることで私まで幸せな気持ちになるのだ。


・・・


そういえば、つい一か月前は私の誕生日だった。たまたま友人と会う機会が多かったこともあり、プレゼントをもらうことが多かった。
受け取ったときに思わず「うわぁ〜〜!」と心の声が漏れてしまった。袋を開ける瞬間、まだ何が出てくるかわからないのに胸が高鳴る。
でも、何よりも嬉しかったのはプレゼントそのものではなく、それを選ぶという時間を使ってくれたことだった。

私のことを思い浮かべながら、どんなものを贈ろうか考えてくれたこと。そのためにお店に足を運び、きっと「喜んでくれるかな?」といろんなものを手に取って悩んでくれただろう。お金も時間もかかるのに、そのどちらも私のために使ってくれたこと。
「ありがとう」という言葉が正しいのだけど、それだけでは足りないくらいの熱い想いが胸に広がる。相応しい言葉を持っていないことが悔しいくらいだ。



日々生きている中で人との関わりは欠かせない。
どんなに忙しくても、少しのやさしさの積み重ねが日常が豊かになる。大切な人たちが笑顔でいてくれるとそれだけで嬉しいし、最近は自分からポジティブなことを探すようになった。
気づけば、小さな幸せに気づく瞬間が増えたように思う。


最近、有意義なお金の使い方ができている気がする。以前は自分のためにお金を使っても満足感は買ったその瞬間だけで、幸福感があまり長続きしないこともあった。
プレゼントと言わずとも、友人や家族へちょっとしたお土産を選ぶことやごはんをご馳走すること、お金を使うことで誰かの笑顔につながる瞬間が増えた。そして周囲の気遣いにも敏感に感じられるようになった。

お金は使うためにあるのだから、貯めるだけでなく適度に使いたい。それなら幸せを買いたい。誰かのために使ったお金は、ただの消費ではなく喜びや思い出になって心の中に留めておけるから。

他人のためにお金や時間を使うことは、容易ではない。
だけど、そこに着目できる余裕とやさしさを持っていたい。

やさしさは目には見えないけれど、確かに巡っている。
そんな小さな連鎖をこれからも大切にしていきたい。

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陽|haru
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