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わたしが写真を撮り続ける理由
先日6月1日は写真の日だったそう。
気づいたのはその日の23時。もう1日が終わってしまうような時間だった。大好きな写真にまつわる日を忘れていたことに少し溜息をついてしまったけど、せっかくの機会だからわたしがそれなりに長く写真を撮り続けている理由を考えてみた。
シャッターを切る瞬間が好き
2年ほど前にフィルムカメラを始めてから、より好きになったシャッターを切る瞬間。
もちろんデジタルカメラやスマホでもシャッター音はなるけれど、独特の重さの「カシャン」という音は心地よい。
そして、「今、シャッターを切った」という感覚が1回1回あって、その度に大切に写真に収めている感覚を噛み締める。そんな瞬間にトリコになっています。
ファインダーを覗くことで知る幸せな瞬間
ファインダー越しの世界は、どんなにありふれた日常でも美しく感じる。
これは、多くのフォトグラファーが感じていると思う。
実際、作品撮りではなくて、日常の何気ない瞬間を切り取った写真は美しいし、わたしが好きで得意とするのは日常写真。
なんでだろうか、なんでもないいつもの風景もファインダーという特別なフィルターを通すときらきらして見える。
実際はいつもと変わらない景色だけど、道端の小さなお花に目がいったり、青空の色が季節によって違うことに気づいたり、見る視点が変わる。
素直に「なんかいいかも」と思って撮った写真が、見返したときに素敵だなってなるときが「写真って楽しい」って思える瞬間だなあと思う。
残すことで思い出す日々
そのときその瞬間「あ、いいな」って思っても、しばらくすると忘れてしまう。私は備忘録としても写真を用いる。
前述した「幸せの瞬間」をフィルムに閉じ込めて、しばらくして現像を出し返ってきたときのどきどき感。それぞれにまつわる思い出がふわっと蘇る瞬間。思い出がより色鮮やかになるような、そんな気がする。
フィルムに限らず、デジタルでもその写真に向き合ってそのときの色をのせていく作業は作業ではなく、作品をつくっているような気持ちになる。
私にとって写真というのは、「撮る」だけが楽しいわけじゃなくて、撮った後の作品になるまでの過程も好き。
写真にまつわる作業を全部含めて「写真を撮って残し、見返す」という行為が好きなんだろうなと思う。
おまけ
ちなみにこの題材は2年前、noteを始めたころに書きたかったようだ。
これから書こうとしたんだと思う、タイトルだけ書いた下書きが2年以上その先が書かれないまま、眠っていた。
時を経て、ようやく言葉にして出すことができた。
本格的に「写真を撮る」ことを趣味にして5年。
デジタル一眼レフキットから始まったわたしのカメラライフは、被写体や撮る頻度、機材など形を変えながらもずっとわたしの生活の一部になっている。
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