本よみ日記3
8.11水
ひき続き阿久津隆『読書の日記』。合間に買い出し。カンパーニュを厚めにスライスしたものと、ライ麦入りの小さな丸パン4個入りで迷う。たっぷり入っているカンパーニュをカゴに入れかけてやめ、丸パンにかえた。
家に帰り丸パンを温め直していると、ああそうかと合点する。阿久津さんがスープに添えるパンを作ろうと決意するところ、バゲットより小さい丸パンなのではないか、小さい丸パン2つとかがいちばんいいのではないか、と考えを詰めていくところが私の生活に滲み出てきたのだった。買う時は気づかなかった。こういうの面白いなあ、生活に膨らみが出るような気がした。パンを選んだだけなのに。
今、手元にはないがかつて島尾敏雄『死の棘』を持っていて、それは神社の敷地内でひらかれた古本市で買った気がする。その前に『死の棘』の映画を観ていたので原作を読んでみようと思ったらしい。しかし、読めなかった。数ページ読んでザワザワして閉じ、別の日に開いては閉じた。怖かったんだと思う。
なので、阿久津さんが12月入り、梯久美子『狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ』や島尾敏雄『「死の棘」日記』を読んでいて、島尾家で年を納めるのか、すごいというか、ごついというか、感心した。
でも時間の力というか、今なら怖いもの見たさで読めそうな気がしている。いい歳になったし、(ひぇ〜)とか心の中で言いながら読んでみるのも面白そうだ。
昔、『死の棘』を読了できなかったけど、ちょっとだけ触れていたから今この段階に居れるんだよなと思う。阿久津さんが読了について書いていて、私も読了派だから思うところがあり、たしかに読了ということにこだわらない読み方の可能性ってあるなと思った。考えてみたい。