アップルパイの味
キッチンの棚にはりんご、柿、栗、さつまいもがならび、オーバル皿には柚子が盛られている。ほとんどがもらったり、拾ったものだ。
昨日の鍋は上出来だった。豆乳と鶏がらスープの素、めんつゆと水のなかに、ちょっとずつ残っていた野菜をいれた。キャベツ、白菜、しめじ、にんじん。油あげととうふをいれ、少し迷って鶏ももと冷凍餃子を加えた。
冬子は数年前から肉を買わなくなった。ふだんのたんぱく質といえば、納豆、とうふなどの豆類やたまご、魚だ。月に二回ほど、買いすぎた、作りすぎたと、家の近い夏子が肉や餃子を百閒に届けさせる。
冷凍していずれ百閒に食べさせればいいじゃないと向けても、曖昧に返ってくるだけで、外食や人と会う時は肉も食べる冬子はありがたく受けとることにした。夏子なりの心配の仕方だと気づいたからだ。
母がなってしまった病の本にも、食生活を見直すことの大切さが書かれていた。そして予防できることをしっかり守っていても、その病になる人の六割近くは「運」である、とも書かれていた。
がんは不運であるが不幸ではない。以前に読んだなにかの本の一文を覚えていた。今では肌身はなさず持ち歩くお守りとなる。
よしながふみ『きのう何食べた?14』と堀江敏幸、角田光代『私的読食録』とともにテーブルの上に積まれていた、林和彦『よくわかるがんの話』1巻と2巻を、柿を届けにきた百閒は目ざとくみつけ、なんの本か聞いてくる。ばあばの病気の本かなというと、俺もよむというので、冬子は説明しながら数ページを一緒に読んだ。若い人向けに書かれているようで、イラストが多く漢字にふりがなもふってあり、百閒と読むのにちょうどよかった。
百閒が帰り、冬子は『私的読食録』の目次にあった一冊を本棚から取りだした。
長年、堀江さんの本の紹介を読んできて薄々感じていたことが、角田さんとの対談ではっきり書かれていた。堀江さんの紹介のほうがおもしろく、元の本を読んだ人からあまりおもしろくなかったと、たまに怒られることがあるらしい。
取りだしたのは中野翠編集の『尾崎翠集成(下)』、未読であった。読んでみようという気になったのは堀江さんの『アップルパイの午後』の紹介文に惹かれたからで、実際『アップルパイの午後』はなかなかよかった。しかし、もう少し自分に聞くと、なかなかよかったことが確認できてほっとする気持ちが大部分をしめている。堀江さんにかぎらず、本の紹介というかたちをとり、その人の作品になっていることは多々あるのだった。
どちらにしてもしばらくアップルパイを食べるときは、あの若い恋人たちの睦言があたまをよぎるのかあ。目に見えない味がふえていくのを冬子はどうすることもできなかった。