うしろめたい好奇心 川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』
かけだしの物書きである。仕事はまだない。長年読みつづけている書評家、鰤江氏の本をひらき、手について十ページ書かれているくだりを読む。わたしの手はこの先、なにに触れてみたいのだろう。
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静かな、とてつもない物語を読んでしまい、その後どの本も読めなくなっている。川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』。物語では人類が滅びへ向かうなか、いくつもの異なる集団が形成された。そのなかのひとつの集団、人間に限りなく似ている生物と出会ってしまった一人の人間の話。
生物の背は人間よりもずいぶん低く、目が三つある。鼻はないが二つの穴はある。服らしきものを纏い、意味のわからない言語をもつ。みずうみの水を飲み、泳ぎ、魚を食べ、赤ん坊を洗う。あたりかまわず排泄し、体を清める習慣はなく不衛生だ。
観察を続けるほど、一人の人間は生物に嫌悪感を募らせていく。人間にあまりに似すぎている、人間ではありえないもの。人間が退化したものと考えるのさえ、けがらわしく思うもの。
一人の人間は生物の存在にとうとう耐えられなくなる。遠くにあってほしいと祈るように解析を行うと、数字的にほぼ人間と一致した。一人の人間はみずうみに毒を流す。こうしてこの生物は絶滅した。
たとえば、ある限られた土地にしか生息しない稀少な生物を見つけたものの、実際に見て、匂いを嗅ぎ、声を聞いた結果、どうしても受け入れられない、耐えられないということはあるのではないか。物語のように、一人の人間の判断で種の命が絶たれることもあるだろう。生身の人間の個体差として、殺すことはせず、その場をそっと去る、という選択肢があることを信じていたい。
物語のなかで、憎むとは相手がこの世界からいなくなってほしいと思うこと、と生物のかあさんが言う。そもそも憎しみを知らない生物の「あたし」は毒に苦しみながら、毒を盛ったはじめて見る人間にほほえむ。目は好奇心に輝いていた。
疑うよりも好奇心が勝り、人に近づいて絶滅していった生物は少なくない。一人の人間が輝く目とともに聞いた「あなたは、だあれ」は忘れがたく、いつでもひっくり返る可能性を孕んでいる。人間は生態系ピラミッドの最上位と言われているが、私はうたがう。制御できない人工知能や、刈っても刈っても繁殖しつづける植物なども、もとは人の好奇心から拡張したものだろう。足首に絡まろうとする蔓を、いつまでも見て見ぬふりはできないのだ。
ところで、私の関心は少しずれた所にある。この物語を読むとき、毒を盛られ絶滅したこの生物を、読者はどのようにイメージしているのかが気になるのだ。人間に似すぎていて、人間ではありえない、人間が退化したものと考えるのさえけがらわしい生物。すでに見たことがあるものに近いのか、それとも全くあたらしいものなのか。あかるく答え合わせができない、私も言うからあなたも言ってね、といううしろめたい好奇心を抑えることができないでいる…
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と書いたところで、友人が来たのでさっそく見てもらう。ひじょうに言いにくいことはさ、もっとなんでもないふうにさ、うしろめたさは微塵も出さないほうがいいのよ、と言う。珈琲を淹れながら、友人が買ってきた顔よりふたまわりは大きいカンパーニュに触れる。少しも沈まない指に粉がついた。友人は慣れた手つきでカンパーニュをまず半分に切り、厚めでいいよね、と切りわけていく。軽く焼いてすみずみまでバターをぬったパンを食べながら、あの、水分だけで生きられる、合成代謝できるタイプは今のSDGs的にいいんじゃないの、と言ってすぐ、それはだれかが書くか、と言った。
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