化合物

お前は海に出ろ

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  • 嘘日記

    嘘の日記です。

最近の記事

横顔

インターホンが鳴って、玄関に向かうと、僧侶がすでに家に入ってきていた。 「こういうの、勝手に入ってきていいの?」 と聞くと、振り向きながらとても驚いた顔をした友人が立っている。 「えっあっごめん、え、久しぶり。10年ぶりくらい?ごめんくださいって言いながら勝手に入ってきちゃった」 背が記憶より3センチくらい高くなっている。顔はあんまり変わってなかったけど痩せたような気がした。 「絶対ダメだろ」 とりあえず仏間に案内する。 「いると思わなかった、えっいまずっと地元

    • お土産

      会社の人がくれたお土産がやけにおいしかった。今は渋谷駅のホームで座り込んでいる。 以前旅行に行った際、金曜に会社で「今週何するんですか?」と聞かれて「小田原に行くんです」と言ったことを思い出して、いや誰もそんなことどうせ覚えてないかもしれないんだけど、万が一覚えてたらあっこいつお土産持ってこないんだ、へー…と思われる… そう思われないためなら2000円くらいは出せるな、と思い2000円のお土産を買った。 そしたらその適当な饅頭がぜんぜん美味しくなくて、中のあんこもボソボソ

      • 私信

        高校の友人の結婚式があった。友人はとても美しい人で、強い人だけど、彼女のスピーチの中で「ときには私を厳しく叱ってくれた友だちたち」という一節があって、そのときなんとなくドレスの裾を握った。 参列した友人は基本みんな久しぶりの再会だったが、一人は東京にいることもありかなり頻繁に会う。 「なんかそれ聞いたとき、当たり前なんだけど、私の知らないところはとてもいっぱいあるんだって思っちゃって」 「わかるわかる、会ってたらそういうの気付かないし感じないんだけど、それがすべてって思

        • クイナ

          黄色い車を3台見ると願いが叶うというジンクスを覚えているのは、通勤するときいつも電車から駐車場が見えて、そこにイエローキャブと同じ色味のレクサスが停まっているからだ。そのとき、あ、1台目、と思う。 そこからさらに1分ほど走ると、また別の駐車場に赤い車が停まっている。黄色い車を3台見ると願いが叶い、赤い車を見ると叶わなくなる。だからさっき見たレクサスはリセットされる。 でも毎日通勤するから、次第に場所を覚えて、「あ、そろそろ黄色いレクサス」と思ったらスマホから目を離して、そ

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        • 嘘日記
          13本

        記事

          喫煙所

          整体に行ったけど安いラブホみたいな、つまりおじさんとタバコみたいなにおいがした。帰ってからすごく寝てしまったがそういうものらしい。 人生は今、平日と土日しかない。 終電間際のホームはゲロくさくて、人が多すぎて空気の逃げ場もないので、じんわりゲロの香りがする空気に加湿される。広告の文字が目に入って頭の中で騒ぐことがあり、そうなるともう乗ってられないから、各停で寝ながら帰っている。起きていると息ができなくなる。なんとかして帰って、何かあった気がするけど思い出せないまま過ぎてい

          季節のはざまで

          数カ月前から眼球が腫れているのに気付いていたけど、数カ月放っておいた。 今日は暖かくてなんとなく病院に行って、待合室でユリイカの柴田聡子特集を読んでいた。柴田聡子を好きになったのは4〜5年前で、それよりずっと前から柴田聡子は活動してて、活動するより前から生きていて、それを知らなかったし、これからも知る術がないことが寂しい。 人に誘われてダニエル・シュミットの『デ・ジャビュ』を観に行くことになった。だけどもう1本『季節のはざまで』という映画がやっていて、『デ・ジャビュ』はあ

          季節のはざまで

          サーモスに缶チューハイ入れて飲んでる人いたんだけどここをどこだと思ってる?終電のJRだぞ

          サーモスに缶チューハイ入れて飲んでる人いたんだけどここをどこだと思ってる?終電のJRだぞ

          嘘日記 3/11「洗濯機」

          かなり幸いなことに、人生で痴漢に遭ったことがない。ただ痴漢なのかよくわからないけど、電車で手を繋がれるというか触られることが時折あって、ゲロ臭い金曜夜の電車の中で、スベスベとした細い冷たい指が私の手をなぞった。顔は知らないが、黒い服を着ているのが少しだけ見えた。こんな手で触る人は私の人生にはいなかった。いらないからいなかった。 手は3駅くらいで離れた。 あれからだいたい1年になる。やりとりを見返したら、なんかもう完膚なきまでに脈がなかった。 最近靴下が立て続けになくなる

          嘘日記 3/11「洗濯機」

          週末

          結婚式を控えている友人に誘われてマティス展に行った。マティスの絵は元気があっていい。ありがたい。マティスが使っていた絵の具パレットも展示されていたのだけど、そのパレット自体も絵みたいで面白かった。 マティスはおじいさんになって具合が悪くなったらしく、ベッドの上で寝ながら棒を使って描いている写真があった。それを見て、なんか良い人だなーと思った。 でも実際2人で話すってなったら、マジで何話せばいいかわかんないな。会社の人としか喋ってないから、人との仲良くなり方が分からない。電

          指輪

          「ひょん」なことからツイッターのアカウントが会社の人にバレた可能性が出たため、昼休みが終わる残り5分の間にアカウントを消した。 最近は男だの女だのセックスだのパパ活だの短歌だのルッキズムだの、あまり好きではない内容の話題も増えてきたし、本当に忙しくて見る機会も減っていた。ごくありふれた寂しさみたいなのはあったけど、割とすんなりと消した。 会社の人には実際のところバレているのか何なのかよくわからない。日々忙しすぎて過ぎていく。 あまりに忙しいことで私の心は別物のようにおか

          シガール

          皿洗いをしよう、ということは私にとって筋トレをしよう、と同じである。家の水まわりが私の背丈に合わず、腰を曲げずに洗おうとすると空気椅子のような姿勢になる。私は苦しむことが好きだ(そうでなかったらこんな会社にいない)。片づけることはなんの屈折もなく好きなので、つまり皿洗いはかなり好きな家事だった。 大きな鍋をスポンジで拭きあげながら、Apple Musicの「ディスカバリー・ステーション」を聞く。ここ数年同じ曲ばかり聴いていた私は、この世にまだ自分が好きな音楽がたくさんあるこ

          シガール

          初日の出

          2023年、前半は碌なことがなかったが、暖かくなるにつれ穏やかな日々に変わり、憎むべきは労働だけになった。反動で実家に帰ってどんどん雀魂のランクを上げることに専念している。 誰か一人を愛するのではなく趣味を増やして連絡を待ったほうがいい、みたいなアドバイスみたいに、憎むものも1つだと良くないような気がする。 実家に帰る高速バスが混んでいて、私は窓側に座れず通路側でおじさん越しに窓の外の景色を見ていた。 樹は、冬がいい。12歳のときからそう思っている。骨だけになって、影が

          初日の出

          少年

          店に入ると美しい少年がいて、よく見ると出産を来月に控える前職の上司だった。鼻筋が細く、高く、指も細く、首も細く、細い身体の中腹からふっくらと命を膨らませている。 高校生のころは同性の友人であっても恋人のように束縛したくて、そんな熱も今は冷めたのに、なぜかこの人の夫の存在を考えると私は眩暈がするような思いだ。 会社を辞めるとき、この人の連絡先だけ聞いたこと、この人を食事に誘ったこと、この人に夫との馴れ初めを冗談混じりに聞くこと、この人に自分の恋愛について話すことは、どれも恋

          歩き方

          仕事が延びて実家に帰るためのバスに間に合わなかった。それがもう絶対間に合わないレベルではなく、バス停に着いた1分前に発車したからキャンセルも間に合わず、3Dの席は空いたまま終点に着いたんだろう。忙しいという言葉で言い表すのも苛立つほど仕事が私の生活を侵食している。 「化合物さんのモチベーションって何なの?」と仕事の人に聞かれたが、そんなものがなくても私は働ける。モチベーションがあったら、それを失ったとき働けないじゃん。自分の気持ちも一定じゃないし仕事はもっと一定じゃない。

          幻肢痛

          引き続き元々の人格の一部を失っているが、失われた一部は失われるべきだったという気もする。それは夜遅く眠れなくなって考えることであったり、友人と関わっていてザラつくあの感触だったりで、つまり失ってもあまり困らない。強いていえば失ったことそのものに少し切なさがあるくらい。 会社の近くのお店に行ったら隣に会社の人が来た。あんまり話したことがない人なので、お疲れ様ですと言い合ったあとは特に関わらないで、代わりに私は目の前のごはんと向き合った。 向こうは2人で食事をしている。 「

          穏やかな日々

          仕事が本当に忙しいけど、忙しいという自覚がない。何もかもが終わらなくて日付が変わるまで会社に残っていたら残業時間がすごいことになってたりするだけで、なんか働いているときは忙しすぎて記憶がない。泳いでいるときみたいだ。 忙しいけど、なぜか私は元気だ。まあまあ最悪なことがあって、それを会社の人には言わなくて、言わなくても良いということが落ち着く。ただ頑張って目の前のことをこなしていれば、私はもうそれで良くなる。 つまり私は仕事にかまけて私の人生をサボっているのだった。だから元

          穏やかな日々