#日記
スペシャリストの苦悩
こんばんは。
最近グッドドクターというドラマにハマっています。
アメリカ版です。
医療ドラマって、努力して勉強したとか練習したとか、世間でいう優秀な人たちが登場人物だから
それを前提にしてみないと、だんだんなんで自分はこんなにできないんだろうと、思ってしまうのですがそれは違うよね
ある分野にものすごく精通している人たちが、どんなことを考えているのか、意外と私たちと似たようなこと考えてるん
弱さや繊細さはむしろ出す
人は相手に繊細さをみたときに、
「あ、この人なら」
って心を開くのかもしれない
そうであるならば
人と関係を持ちたいときに
あえて弱さを隠そうとすることは勿体無いし
もし弱さや繊細さを出してしまったとしたら
むしろ関係を作るチャンスなのかもしれない
チーズはどこへ消えた?
もしも恐怖がなかったら
大学院試に向けた準備も
就職に向けた準備も
どっちも一生懸命取り組むだろう
もしも恐怖がなかったら
全く知らない企業や試験に挑むだろう
もしも恐怖がなかったら
私はものごとを難しく考えすぎてるかもしれない
私は物事を複雑に考えすぎているかもしれない
今の私にとって、理屈に合わない恐怖はなんだろう
チーズを探すために彷徨っているけど
それを続ける恐怖だろ
私が成し遂げたいこと
夢ややりたいこと、というと少しニュアンスが違うなと感じていて
このために行動していきたい
このために働いていきたいということが私の中にあって
そのために選択している節がある
ひとつひとつ検討していきたい
暮らしを豊かにする
「ゆたかな老後」と表現することもある。理想は私の祖母である。
祖母は現役時代靴屋を営んでいた。主に現在でいうバイヤーの仕事をしていて、浅草と店のある山梨を行った
「失敗」と「間違い」のちがい
あー、私間違えたなーってことがあった時、しばらく落ち込んでしまうタイプです。
失敗したなーって思うときは結構上手く切り替えられるんですけど
多分「失敗した」と「間違えた」は異なる感覚です。
「失敗した」は
事前に準備したことだったり、計画していたことがうまくいかなかった時に用いています。
だから、失敗は想定内という感覚があるのかもしれません。
一方、「間違えた」は
その場の衝動で起こ
自分は十分誇れる人間である
音楽を続けてきた
勉強も頑張ってきた
語学も諦めずに続けてる
人間関係は星の王子さまスタイルで
書くことも続けてる
こんな私に何もないわけないじゃないか
これでいいじゃないか
誇りに思っていいじゃないか
明日も素敵な一日になりますように