『A子さんの恋人』とうとう読み終えてしまった
本好きな友人は、図書館並みに本を持っている。そのセレクションも絶妙で、貸してくれる本はどれも「今」の私に必要なことが絶対に書かれている。処方箋みたいに。
亜紀書房のウェブマガジン 空き地 で連載中の近藤聡乃さんの『ニューヨークで考え中』は時折読んでいたが、単行本を一気にポンと3冊貸してくれたのもこの友人である。
素晴らしいきっかけをくれてありがとう。
改めてはじまりから読むと、きれいでかわいい絵のタッチに心和み、整然と散りばめられている文字の美しさに安らぐ。
主人公が「考え中」の内容には身近な普遍性があり、ページをめくるたびに自分の「考え中」に投影されていく。
3冊すぐに買い揃えた。
次に貸してくれたのが『A子さんの恋人』。A子とA太郎とA君の行方が気になるも、どうしても読み終わりたくなくて、少しずつちびちびと読んでは、その日読んだ部分を鑑賞するようにじっくりながめるというのを繰り返していた。
が、とうとう読み終えてしまった。
悩みや葛藤、互いへの想いが深いゆえに生じる距離やズレ、そのもどかしさ。自分はどうしたいのか。何かに縛られとらわれている感覚から抜けだせない。
それぞれが「言葉にする」ことで互いの想いに触れ、それらが交差し、重なり合っていく。やがて本質が立ち現れ、縛られていたものから自らを解き放つ。
この場面の、この景色、見覚えがある。
この場面の、この気持ち、痛いほどわかる。
この場面の、この言葉、めちゃくちゃ大切。
どの場面もかみしめてしまう。
A子さんが最後に気づいた「得意だからって好きとは限らない」ということは、先日読んだ『ひとまず上出来』にも同じようなことが書かれていた。逆もしかりで、好きであれば得意になれるわけでは決してないものなのかもしれない。
この「好き」と「得意」の関係性に気づかせてくれたA子さんとジェーン・スーさんにお礼を言いたい。
私は翻訳の仕事と勉強を15年以上続けている。ただただ翻訳が好きだから続けているのだし、続けていられるのは心底翻訳に魅力されているから。
今までは、好きだから勉強して上手になれば、得意になれるはず……とどこかで期待していた。だから迷ったり、壁にぶつかるたびに、ダメだと自己嫌悪になることが多かった。
そういう風に結びつけていたから、苦しくなっていたんだとわかって目から鱗。「好き」と「得意」をまったく別のこととして捉え直せたことはとてつもなく大きい。
そして仕事で大好きな翻訳に取り組めているだけでラッキーなんだなとしみじみ思う。これからも続けられるようにしたい。
まずは得意なことをみつけて、得意なことを伸ばしてみよう。
考えるだけでたのしそう。