通り魔事件。なぜ無関係な人を狙うのか
ここ最近、通り魔事件が多いような気がします。
そして、snsを見ていると
「恨んでる相手を狙うのであればまだ分かるとして
なんで無関係な人を狙うんだよ」
というコメントもよく見かけました。
これに関しては
「確かに。」と思いました
そこで、通り魔を起こす人は何故
自分と無関係な人を狙うのか
自分なりに分析してみました。
その結果どうしたら
通り魔事件を無くすことができるのか
ということも考えてみました。
まず理由のうちの一つが
自分が生きづらさを抱える原因となった人が
明確にいる場合なのですが
この場合
生きづらさの原因となった人でも
いつでもどんな時でも悪い人ではなかった
ということが理由としてあげられると思います。
どんなに嫌な人でも優しい時もあるということです。
みなさんにも、
自分の嫌な人を今思い浮かべてみてほしいです。
その人はいつでもどんな時でも嫌な人でしたか?
良いエピソードは
全くと言っていいほどありませんでしたか?
少しでも優しいところがあったり
良いエピソードがあったりする場合も
あるのではないかと思います。
いくら自分にとって嫌な人でも
いつでもどんな時でも悪い人で嫌な人だった
という人は
そうそうないのではないかと思います。
ですので
自分の生きづらさの原因となった人でも
優しいエピソードなどを思い出すことで
葛藤が生まれてしまい
原因の人を標的にはしにくく
無関係な人を標的にしてしまうということなのかな
と思いました。
特に、家族が生きづらさの原因になっていて
通り魔事件を起こす人に多いように思いました。
二つ目の理由ですが
一つ目と同様
生きづらさの原因となった人が
明確にいる場合なのですが
その人のせいで生きづらくなったということが
事実であったとしても
良い意味でも悪い意味でも
その人が居たからこそ
いろいろ考えられるきっかけも生まれて
いろいろ考えられたからこそ
今の自分も居るわけじゃないですか
また、勿論その人が居たからこそ苦しみもあって
でも、苦しんできた自分も
自分だと思うんですよね。
つまり生きづらくなった原因の人は
自分の人間形成に強く関わった人なので
その人を標的にするということは
今の自分を否定することにも繋がったり
今まで苦しんできた意味も
無くなってしまうような気がすると思います。
ですので、
無関係な人を標的にするのかもしれません。
幸せそうに見える人を選ぶかもしれません。
嫉妬…といえばそうなのかもしれませんが
幸せそうな人がいるということも
自分が今までいろいろ考えてきたり
苦しんできたことを否定されていること
という風に思うからなのかもしれません。
つまり、自分の生きづらさの原因である人を
標的にしない理由と
幸せそうな人を標的にする理由は
共通しているかもしれないということです。
もう少し別の視点で考えてみたいと思います。
この場合も生きづらさの原因となった人が
明確にいる場合なのですが
例えばものすごく恨んでいる相手を
標的にしたとします。
その人の命に別条がなければ
何故自分が標的にされたのかを考えるはずです。
繰り返しになりますがこの場合は
恨んでいる相手自身を標的にしてるため
相手も何故自分なのかを考えると
心当たりとなるものは出てくると思います。
その時に、被害に遭ったことは許せなくても
「あ、確かに自分もあんなことしたしなぁ…」
と自分を見つめ直すわけですね。
しかし、人によってはというか
あまりにも恨みが強いと
標的にされたことをきっかけに
相手が「あ、確かに自分もあんなことしたなぁ…」
と自分を見つめ直すことすらも許したくない
と思うのかなと思いました。
それに、被害に遭うと
みんなが心配してくれますし
そんなことすらも許したくないと
思うのではないでしょうか
その点において無関係な人を狙って
あとで動機を語ることで
恨みを持つ相手自身が
「自分に恨みを持っていたり
自分のせいで生きづらさを抱えていたから
この無関係な人たちが狙われたんだ。
それは本人が悪くても
きっかけとなった自分にも責任はある…」
と罪悪感を抱かせられる方が
良いと思うのではないでしょうか
今、ちょうど秋葉原の無差別殺人事件を
思い出しました。
あの事件も
彼もいろいろな感情はあったと思いますが
その中の一つに
自分が無差別殺人を起こすことで
掲示板で自分になりすましていた人が
「自分がなりすましなんかしたせいで
無関係な人が狙われた。
こんなことしなければよかった…」
というような罪悪感を持ってほしい
というような気持ちも
あったのではないかと思います。
通り魔事件の犯人に対して
「なんで無関係な人を巻き込むんだよ」
と怒りを露わにすることは簡単です。
果たしてそれで、本当に何故なのかを
冷静になって考える人はどれだけいるのでしょうか。
多分、あまりいないと思います。
きっと、自分や自分の大切な人は
これからも絶対に加害者側にはならないので
自分たちには関係ないというような
他人事なんでしょうね。
でも、当たり前ですが被害者がいるということは
加害者もいるということです。
被害者になるかもしれないという意識はあるのに
加害者になるかもしれないという
意識を持つことが出来ないのであれば
それは変えていかないといけないことだと思います。
そして、どのようにしたら
通り魔をなくすことができるのか
ということですが
一つ目は先程もお話したように
1人1人が、被害者意識を持つことも良いですが
それと同時に、自分や自分の大切な人が
加害者になるかもしれないという意識も
持つことが大切だと思いました。
そして二つ目は、
「悪いことは起こるはずがない」
「自分なんかが余計なお世話かな」
「自分が助けなくても誰かが助けるだろう」
というような考えをできるだけ捨てること
だと思います。
世間がこのような考えを持っていると
通り魔を起こしかねないような精神状態の人でも
社会的に孤立してしまいます。
ですので、一人一人がこのような考えを
出来る限り捨てることが大切だと思います。
しかし、これには「傍観者効果」という
名前もついているぐらいなので
なくすことは中々難しいかもしれません。
「傍観者効果」はまさに
「自分なんかが余計なお世話かな」
「自分が助けなくても誰かが助けるだろう」
と考えて行動できなくなることです。
しかし厳しい言い方をすると
誰か1人でも余計なお世話の人がいない限りは
通り魔をするような人は
今後も出てくるのではないかと思います。
最後に
自分が今まで考えてきたことや
苦しんできたことを
肯定してくれるような場所があると
良いのではないかと思いました。
もし、誰かが手を差し伸べた場合
そのような場所が見つかるきっかけにも
なるかもしれません。