あやみ

発達障害(ASD)当事者 INTJ-T 自分なりの考え、分析した事を綴ります。note…

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発達障害(ASD)当事者 INTJ-T 自分なりの考え、分析した事を綴ります。note以外では、ダンスを踊ったりvolgを撮ったり、お洒落、心理学の勉強をしています。

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  • 人目を気にしていた自分。

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はじめまして。

自己紹介あやみと申します。 発達障害のASDがあって 普段はB型作業所に通っています。 24歳です。 (2024年2月1日で、26歳になりました。) 障害について 障害が分かったのは高校を卒業して 少し経った頃でした。 障害が分かる前は様々なことに挑戦してきましたが 些細な事を気にしてしまったり 人との関わりやコミュニケーションが 出来なさすぎて、何もかも長続きしませんでした。 今は作業所でゆるく働いています。 いろいろありましたが 今はなんだかんだ言って幸せです。

    • 最近熱中していること。

      突然ですが 最近熱中していることをお話したいです。 それはチロルチョコの包み紙を使って マグネットやキーホルダーを作るというものです。 普段、お菓子として食べているものが マグネットやキーホルダーになっていると とてもかわいいですよね。 これはGWの時に手探りで初めて作った チロルチョコマグネットです。 これは、かなりぐちゃぐちゃですね。 これが最近のものです。 裏がこんな感じです。 自分で言うのもですが それなりに上達したと思います。 マグネット作りはかなり

      • 自分は多分INTJだけど、

        自分のMBTIは多分なんですがINTJです。 INTJなのが嫌というわけではないのですが なりたいなと思うのはENTJです。 そして、自分の場合 発達障害特性や それによって経験したトラウマがなければ ENTJだったような気がします。 つまり本来の自分はENTJだったということです。 今の自分がそれになりたいと思ってしまう原因も 無意識に本来の自分はENTJだということに 気付いているためかもしれません。 今でも INTJの特徴に当てはまっているとは思いつつも EN

        • お弁当を作りました。

          お久しぶりです。 今日も作業所に行ったのですが いつもは給食を食べているのですが お弁当を作りました。 メニューは ・白ごはん ・アスパラのベーコン巻き ・ハンバーグ ・ひじきの煮物 ・トマト です。 お弁当を作るのは人生初でしたが 事前に何度もネットで調べていたおかげが 目立ったトラブルも無く 作ることが出来ました。 自分で言うのもですが味もおいしかったです。 これからも月1ぐらいはお弁当を作ろうと思います。 2024.10.1 あれからほぼ2ヶ月ぶりにな

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        • 人目を気にしていた自分。
          10本

        記事

          7月は特別な月。

          7月というと 自分にとっては少し特別な月です。 7月は梅雨に入ることもあるため 雨が降ったりして気持ちが落ち込みますよね。 また、雨には風がセットされることも多いため 尚更イライラするなと思います。 しかし 7月は夏の始まりということもあるためか どこかエネルギッシュになるというか 自分は、なんでも出来るような気もしてきます。 実際これまでを振り返って 自分は何かを決断する時は 7月が多かったような気もします。 音楽でも、冬をテーマにした曲では しっとりしんみり系が

          7月は特別な月。

          感謝をするということ。

          自分は人に何かを相談した時 「でももっとしんどい人なんているでしょう 例えば〇〇とかさぁ~」 みたいに言われることが多く また、周囲から あなたは恵まれていると言われることが多かった。 みかねたとある人からは 「とりあえず1日1回ありがとうと 誰かに言うことから始めてみれば?😮‍💨」 と言われる始末でした。 この頃の自分は、 感謝をすることに対してとても理想を抱いていて 感謝をするのはとても素敵なことだし それが出来ると生活は豊かになるだろう。 にも関わらずそれが出来ない

          感謝をするということ。

          「若いんだから~」という落とし穴。

          この記事は 心に余裕がある方のみ見てほしいです。 みなさんは 「まだまだ若いんだしなんとかなるよ!」 みたいな言葉を聞いたことはありませんか 私はこのような言葉は嫌いです。 このような言葉は 半分正解だと思いますが 半分間違っていると思います。 若いということは 時間とチャンスはとてもあります。 その時間やチャンスを利用して 色々なことを試すことは出来ますし そのような意味では若いからなんとかなる というのは当たっていると思います。 でもそれだけのことだと思います。

          「若いんだから~」という落とし穴。

          頑張れる自分と頑張れない自分。

          私は、自分自身が 頑張り屋なのか怠惰な人間なのか どっちつかずだなと思う時があります。 でも最近どんな時に 自分が頑張れるのか頑張れないのかが わかってきました。 私は、その場限りの努力が 壊滅的に出来ていないと思います。 例えば、明日は朝7時に起きようと決めたけど 当日になってみると ちょっとしんどいのもあって 7時よりも遅れても良いか なんて思ってしまいますし 作業所から帰ったら〇〇しよう なんて思っていても やっぱり今日は嫌なことがあって 乗り気ではないから辞めてお

          頑張れる自分と頑張れない自分。

          自分の意思を尊重してくれる親の元で育った結果。

          私は、昔から親に〇〇しなさい等を 言われることがとても少なく 自分の意思を尊重してもらえていましたし お金に困っている等もなかったため 進路選択、習い事など とても自由にさせてもらえてたと思います。 例えるならば 2月の勝者の 前田花恋の母親のような親だと思います。 (わかる人にはわかるかと思います。) 客観的に見るととても 「理想的」「恵まれている」 と思われると思います。 親からも 「自分のやりたいことをできていることに 感謝をしてほしい。」 と言われていましたし

          自分の意思を尊重してくれる親の元で育った結果。

          多様性とか、個性とか言うけれど。

          最近、多様性とか、個性とか 言われるようになってきましたが みなさまは このことに関してどのようにお考えでしょうか。 私は、いろいろ言われるようにはなっているけれど みんなと同じであることが大事みたいなところは あまり変わっていないのでは と思います。 むしろ逆で みんなと同じであることが大事みたいなところが 昔に比べて強くなってきているが故に 多様性とか個性とか 言われるようになってきたのでは とまで思うぐらいです。 例えば、今SNSが普及してきて 発達障害に関係する

          多様性とか、個性とか言うけれど。

          無職であることに劣等感を抱くのか。

          自分は無職ですが 全然無職であることに 劣等感を抱いたことはありません。 このことにあまりデメリットは感じていません。 強いて言うならば 就職するという モチベーションが上がりにくいことですが 劣等感を抱いて焦っても 結局空回りする可能性が高いため 総合的に考えると 劣等感を抱かないことは良かったと思います。 やはり、人は 劣等感を抱いたが故に努力をしても 失敗に終わる可能性が高く 自分がそれを 純粋にやってみたいという気持ちがあることや 安心感があるということが前提であ

          無職であることに劣等感を抱くのか。

          「自分がされて嫌なことは人にはしないこと。」と言うけれど

          小学生の頃、道徳の授業で 「自分がされて嫌なことは人にはしないこと。」 と習ったことがある人も多いはずです。 自分がされて嫌なことを人にしないことは 当たり前だろうと思う人も多いかと思いますが この当たり前を出来ている人は どれだけいるのでしょうか。 このことに限らず 当たり前のことを当たり前に守るということは 実はとても難しいことだと最近思っています。 お話を戻すと 例えばのお話なのですが Aに嫌なことをされたとします。 自分自身は、嫌なことをされたので 「嫌だな

          「自分がされて嫌なことは人にはしないこと。」と言うけれど

          【独り言】誰にも言えなかったこと。今の人生は、おまけの人生。

          今から6年ほど前に 史上最悪で絶望的な出来事が起こった。 といっても、誰かが亡くなったとかではなく とあるスパルタな先生に 自分だけがみんなの前で物凄く叱責されたという 客観的に見るとそこまで大きな事では ないんだけれど。 この出来事が起こった夜 電車に飛び込もうかと思った。 でもそれは出来なくて 6年ほど経った今でも生きている。 この6年嫌な事もあったけれど 良いことや嬉しいこともあった。 でも、その出来事があった6年前に 自殺する予定だったと今でも思っている。

          【独り言】誰にも言えなかったこと。今の人生は、おまけの人生。

          「謝罪」よりも「理由」重視派です。

          「理由」重視であることは良くないと思っていたけれど みなさんは、他者が何か悪いことをした時 その人からの「謝罪」か「それをした理由の説明」 のどちらを求めますか? 私は後者です。 それが普通だと思っていて 多数の人は 前者の「謝罪」を求めることや 「理由の説明」は言い訳に感じると知り 驚愕したのは最近のことです。 自分が他者に理由を求めるため 自分自身が何か悪いことをした場合も 相手は私に対して理由を求めるだろうと思い 相手に理由の説明をしたりしていました。 今から考え

          「謝罪」よりも「理由」重視派です。

          自分の笑顔が嫌いだった。

          私は、もう26歳になるのですが 今まで生きてきた中で誇張無しで一度も 自分の笑顔を好きだと思ったことがありません。 でも、自分で言うのもですが不思議と 人から笑顔を褒められることは多かったんです。 あまり人から褒められる部分がない自分でしたが 笑顔だけはとても褒められていたと思います。 ですので「笑顔は武器みたいなもの」と 自分の中で思っていました。 自分はそれを好きだと思った事は一度もないのに それが武器っていうのも皮肉な話ですけどね。 実際、笑っていたら案外上手く

          自分の笑顔が嫌いだった。

          【後半は愚痴】誰からも指図されたくないが、指図される隙はある悪循環。

          自分自身も含む 孤立型のASDの人や性格のタイプがINTJの人は お仕事面でもプライベート面でも 自分が自らアドバイス等を求めた場合を除き 他者から指図される事を 物凄く嫌うところはあると思います。 (指図だけではなく 自分のテリトリーに入られるような言動も含む) しかし、上記のような人に共通する事といえば 大人しい、口数が少ないという点です。 大人しく、口数が少ないので そのような意味では、言い方は悪いですが 他者から指図される隙が出来てしまいます。 よって、指図された

          【後半は愚痴】誰からも指図されたくないが、指図される隙はある悪循環。