【徳島の右下生活】#43日目
高:31℃ 低:24℃ 晴れのち曇
AM8:00~12:00 お寺バイト 草抜き
今日は無心で
COTENラジオを聞いてた。朝から「上がらんなぁ~」ってそんな日だった。でもテンションが特別低いとか、体調が悪いとかではなく、少しの寝不足みたいな気怠い感じ。お寺の草抜きは好きだから、ちゃんと朝支度して行く。今日は月曜日、ゴミの日だから出るのがギリギリでBさんから電話きた。第一声「倒れてるんか~?」って(笑) ???何のこと?ってなった(笑) 8時前に来てなかったから心配してくれたらしい。優しいよなぁ。行ったら行ったで「草抜きするときしゃがんで足痛いやろう」って座椅子を発泡スチロールでこしらえてくれた。なんでそんなに優しくできるんですか。ありがとうしか言えなくてほんとすみません。。。まだまだ「頂く側・教わる側」だとつくづく思わされました。
COTENラジオは今日から日露戦争編。crewだからアーリーアクセスできて半分くらい聞いた。中高の歴史で覚えてはいるけど、それは日本の教科書の視点でしかなくて、他の国がどういう状況だったか、何を考えていたかは全く知らなかった。深井さんらスピーカーが何度もおっしゃるけど、「歴史をどこで区切るか。どの視点で見るか。一概に『良い悪い』で終わるのではなくなぜそのような状況か。最善とはいかないまでも仕方なくそうせざるを得ない状況で自分ならどうするか。」歴史を(COTENから)学ぶと、それぞれ理想があって、考えがあって、でも思うようにはいかないことも思うようにいっても結局滅んだりして、やるせなくもなるし、人ってどうしたいんだろうとも思う。「愚かだ」と言うのは簡単だけど、それを言ったところでだし、自分を「愚か」と言うことにもなる。今回特に言ってるのが「自分を現状認識するのは難しい。」ということ。
徳島に来て、衣食住が受けられ、働くところもあり、パートナーにも恵まれ、周囲の人にも恵まれ、本当に幸せ者だと思う。それをより俯瞰して溺れていないか、進めているのか、自他ともに配慮があるか、そもそもこのままでいいのか、なぜここに来たのか。そんなこと考えないといけないことか?ただしかし、考えることは止めてはいけないと思う。現状維持は退化だ。でも欲を出しすぎるのも終わりがない。『今ここ』を生きることをしていきたい。
PM14:00~15:00 読書 “弥栄の烏”
前巻の烏側視点
山内村での御供として人柱にされた女性の話だった前巻。それの烏側視点を描いている。死んだのは雪哉の親友だったか。。。しかも死体も残らない灰に。雪哉が他の同期に悲しみを見せないのも、烏界で一瞬の油断を許さない状況で、その悲しみに目をやると戻ってこれなくなると感じてるからだろうか。嫌なこととか直視したくないことがあると仕事とか部活に集中するそれと似てる気がする。何かに没頭するの気持ちいいもんね。これってつまりミクロに入り込む感じだろうか。草抜きしてたりお寺バイト全般で感じるミクロとマクロの世界。仏教を学んでても感じる唯識の全と個。視野が狭まると楽だが、それはつまらないことかもしれない。1つの草を抜く楽しさもあれば、草を抜ききった全体を見る楽しさもある。具体と抽象の行き来が面白く、やはり学びがあるのかな。