たぶん私の人生は、私だけのものではない
今度のお正月は、6日ほど祖父母がいる田舎へ帰省する予定だった。母から「この新幹線で帰るから」といわれ、年末年始はそのために空けていた。
だけど先日、母から突然「お正月、帰るのなくなったから」と告げられた。
急な出来事に「なんで?」と聞き返すと、「おじいちゃんが新しいお薬で治療を始めるから、もうちょっと落ち着いた時にしてほしいって」とのことだった。
私の祖父は、今年の10月に悪性のガンが見つかり、そこから数週間入院して治療をしていた。退院後も、ちょこちょこ病院には通っているようだ。
「もうちょっと落ち着いた時にしてほしい」って、一見消極的なようで、これってすごく前向きな意思のあらわれなのではないかと私は思った。
なぜなら、「もうちょっと落ち着いた時に」ということは、「またいつか落ち着いて会える時が来る」という期待感を、祖父自身がもっていると考えられるからだ。だから私も祖父母と会うのは、またいつか落ち着いた時の楽しみにとっておこうと思った。
私の祖父母は、祖父がガンになる前日まで仕事をしていた。しかしもう、二人とも70後半だ。
働き盛りを過ぎて現役を退いた段階は、歴史人口学者のピーター・ラスレットによって「サードエイジ」と呼ばれている。サードエイジは、4段階に区分されたライフコースの3番目にあたる。
平均寿命の延伸とともに、自立して生活ができる健康寿命の伸びも著しい現代においては、この「サードエイジ」の時期を長く生きられることが、大きなメリットである。
しかし65歳になっても定年退職をすることなく、母子家庭の私を経済的に支えてくれた祖父は、まだ仕事している間にガンを患ってしまった。ということは、今のところ祖父は、高齢期の豊かさの象徴であるともいえるサードエイジの時期を、まだ少しも過ごせていないことになる。
とはいえ、『祖父にとってはこれだけゆっくり過ごせる時間があるのも、もしかすると初めてのことかもしれない。』
そう思って、祖父がガンになった10月から、これまでほとんど連絡をとることのなかった祖父に、何かいいことがあれば写真を送るようになった。
私という人間が日常を生きるなかで、少しでもハッピーに感じたことを、写真や動画とともに祖父にシェアするようになった。
『祖父が病室から出られないのであれば、私がどこにでも行って、楽しいことをたくさんして、それを祖父にシェアすればいいんだ。』
そう思って始めたことだけど、おかげで私は日常の小さな幸せに目を向けるようになり、小さな幸せに気づくことができるようになった。
たぶん、私の人生は、私だけのものではない。
祖父の分も、私が生きている。
今まで育ててもらったことに感謝するって、きっとそう思って毎日を過ごすことのような気がする。
そうしていれば、日常の小さな困難も、自分一人がもつ以上の力で、きっと乗り越えられそう。