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優しく慎ましく自分らしく


嵐のような一週間が終わり、束の間の休息。朝なのか昼なのかわからない時間までただただ眠り、朝ごはん兼昼ごはんを食べて、夜は約束があったから、それまでの時間ずーっと観たかった映画を観るため、Netflixのマイリストをひらいた。(積読しがちなわたしはマイリストに保存してある作品量も一向に減らない。)


「かもめ食堂」。なんでもっとはやく観なかったんだろう。ただ、今観たことに意味があるのかもしれないなあ、なんて。わたしって生き急いでいるのかも。くすっと笑えて、時にうるっと感情が込み上げて。波は穏やかなんだけど、優しく心に染みるようなお話。

フィンランドのヘルシンキ。市場の色とりどりの食べ物。どこかゆったりと流れていく時間。自分らしく生きる登場人物たち。サチエさんとミドリさんの出会いのシーン。「誰だ、誰だ、誰だーっ。」ガッチャマンの歌で繋がる輪が少し羨ましくて可愛かった。強いお酒も飲めちゃうタバコが似合うマサコさん。本当に3人が愛おしくなった。

おにぎりもシナモンロールも食べたくなったなあ〜。出てくるご飯が本当に美味しそうで。食べることは生きること。本当にその通り。誰かに淹れてもらったコーヒーが1番美味しい。本当にその通り。

どんなに平気そうに生きている人だって何かを抱えて生きている。でもそんなの全部知る必要なんかない。いらっしゃいませの言い方が丁寧すぎたって、乱暴すぎたって、それぞれ違くったっていい。

ヘルシンキに来る途中で荷物がなくなってしまったマサコさん。そんなマサコさんがかもめ食堂でサチエさんとミドリさんと出会い、サチエさんに「いいわね、やりたいことをやってらして。」って言うシーンがあって。それに対してサチエさんが「やりたくないことはやらないだけなんです。」って答えるんだけど、それを聞いたマサコさんが「いつまでも同じ服を着ていられないわね」って買い物に出掛けるシーン。そして新しい服を着てまたかもめ食堂にやってくる。あぁ、なんて素敵なんだろう。

やりたくないことをやらない。できるようでできないこと。意外とやりたくないことたくさんやりながら、我慢しながら生活しているなあ〜。できませんって言うのが怖くて、怯えている毎日に思いを馳せてみる。


「めがね」。「かもめ食堂」を観たあとすぐに再生ボタンを押した。これまた好きなやつだ〜と開始数分で理解。取るに足らない生活。穏やかに優しく生きる。黄昏る。人が嫌なことは強要しない。携帯の電波が繋がらないある意味遮断された島で、人々と助け合う。

必要最低限のこと。情報に溢れすぎているのは、便利が故の弊害もある。自分に必要なものだけを磨いて、抱きしめて生きていく。大事なものが時に変わったって、忘れてしまったって、良いんだと教えてくれた。

かき氷のお返しが「氷」でも「折り紙で折った動物」でも「マンドリンの演奏」でも、気持ちがあれば良いのかも。お金に変えられない、慎ましさに心が癒された。

「いくら真面目にやっていても、休憩は必要です。」「たしかに。」
「めがね」より



なんかわたし生き急いでないかな〜なんて二つの映画を見終わった後、考え込んでしまった。癒しを得たと同時に、自分の人生を見直した。ゆったりボーっと黄昏るのって意外と難しいんだよね。こんなふうに生きられたらどれだけいいだろう。すぐには無理だけど、わたしらしく生きれる日を願っても良いのかな。

どこにいたって悲しい人は悲しい。寂しい人は寂しい。でも、生き方は自分でどうにかできる。優しく慎ましく自分らしく生きて行きたい。そして、日々に疲れた時に、また何度でもこの映画のこと観直してしまうのだろうな〜と思った。


「人はずっと同じではいられないものですよね。人はみんな変わっていくものですから。」「いい感じに変わっていくといいですね。」「大丈夫。多分。」「そうですね。」
「かもめ食堂」より





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