繋がれた命
一月一日、世界中の人々が新年の訪れを祝福するその日を迎えてすぐ、祖母が亡くなった。
よく晴れた朝、寝ぼけ眼でスマートフォンの画面をタップすると、母からの「呼吸が止まりました」というメッセージ。
秋の終わり頃から祖母は「年を越せるかわからない」と医師から伝えられていたから、そこまで驚くことはなかったけれど、ついにそのときが来てしまったのだと、私はまだぼうっとした頭で液晶画面を見つめながら、静かに事実を受け止めた。
葬儀はすぐさま身内だけで行うことになった。
もうかれこれ七年以上顔を合わせていない親戚たちは、それぞれ会っていなかった分だけ年を重ねていた。髪が白くなり、皺がいくつも刻まれた顔の伯父、最後に会ったときは小さく幼かったのに、今はすっかり落ち着いた面持ちで制服をきちんと着こなしている、年下の従兄弟たち。
顔を合わせると、たちまち近況報告で溢れかえった。進学先のこと、就職して間もない職場の雰囲気や業務の大変さ、他愛のない出来事、ぱっと場が明るくなるような冗談を交えながら銘々に話を弾ませていた。
葬儀だというのに緊張感や喪失感がまるでなく、懐かしくて慣れ親しんだ笑顔でいっぱいになった。そこには相手を出し抜こうとか、恨みや妬みのような不穏な感情は何処にもなく、今ここに生きていることを悦び、お互いを大切に思う気持ちが込められて心があたたかくなる。
側に置かれた遺影に写る祖母も生前の雰囲気のまま、どこかいたずらっぽく微笑んでいた。
ただたった一つ、泣かずにはいられなかった場面がある。
告別式のとき、いつも言葉少なで煙草を吸ってばかりいた祖父が、声を震わせながら遺影の祖母をまっすぐに見つめながらこう言った。
「いい息子、いい娘、ありがとう」
がらんとした会場に響いたこの言葉が耳に届いた瞬間、私はおそらく初めて祖母の死を意識した。
祖母から母へ、母から私へ命を繋いでくれた人。大切な人がこの世から旅立ったのだ。あなたがいなければ私はこの世に生まれることができなかった。感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、どうしようもなく心が震えて視界がぼやけていく。やがて熱い涙が頬を伝った。
涙ぐみながらどこまでもやさしく発せられたこの言葉は今でもはっきりと私の記憶に刻まれている。
告別式を終えた後、出棺前に親戚一同で棺の中で眠る祖母に花を手向けた。カトレア、カサブランカ、霞草、スターチス、ストック、カーネーション、アルストロメリア、色とりどりの花を丁寧に、思い思いに束ねて添えていく。
「ほんとうにありがとう」「お世話になりました」「そちらに行ったときはよろしくお願いしますね」
やがて棺の中の祖母は花いっぱいに囲まれた。
祖母は花がだいすきで、祖母の家のベランダにはいつも様々な鉢植えが置かれていた。私がまだ小さい頃「これはガーベラ」「こっちは百合」と、花の名前を教えてくれたのは、そういえば祖母だった気がする。
そんな祖母に、最期に沢山の花を捧げられてよかった。
いつもテーブルを埋め尽くすくらい沢山料理を振る舞い、私の前ではいつもあかるく笑顔で、誕生日には欠かさず「おめでとう」とメッセージを送ってくれた祖母。
正直私にはまだ祖母が亡くなった実感がまるで湧かない。今でも声を掛けたらにこやかに返事をしてくれるのではないかと、心の何処かで考えてしまう。
けれどひとつだけ、心に誓ったことがある。
あなたから受け継いだこの生を、私は悔いがないと思えるように生きていきます。
どこまでもまっすぐに、ひたむきに、降りかかる苦難に屈せずしたたかに、慈悲深く、毅然として、私は私が正しいと思うものを貫いていきます。
どうか安らかにお眠りください。