男女の葛藤を唄ったオリジナル演歌「ちぎれ涙」の作詞/不破静六
先週の答え合わせからいく。
このどこに嘘が隠れているかというと、答えは「嘘がある」ということ自体が嘘だ。一種の禅問答であり、嘘があるということは嘘がないことであり、すなわちそれは嘘があるということである。
真剣に考えた人ほど、怒るかも知れないが、それはあなたが悟りに至る一歩だと捉えていただき、ご容赦願いたい。
さて、今回の本題である。
この前、和田誠著『日曜日は歌謡日』の座談会をしたことに触発され、今週は、不破なりの演歌の作詞をした。
「ちぎれ涙」 作詞・不破静六
男と女のすれ違いと、それが生んだ悲劇を詠んだ歌である。
男は自分勝手に何も言わないのではない。女に心配をかけないために無口になるのだ。そうやって女を思いやって黙った男だが、しかし自分を分かってもらえない寂しさも持っている。人間だからしょうがない。それを素直になれず、女に八つ当たりして晴らすのだ。
つまり、男は女を思いやって無口を貫くが、その孤独を理解されずに女性に八つ当たりするという、葛藤を抱えている。
そして男は女との関係だけでなく、仕事の上でも矛盾を抱えている。女に対する態度が荒れるのは、仕事で上司に逆らうことができずに自分の仮面をかぶって苦しんでいるからだ。上役への義理を果たすために、愛妻との人情を泣いて切り捨てると言える。男は女の前で格好のいい啖呵を切りながらも、心では泣いている。義理と人情の板挟みに苦しみながら、妻への愛情ではなく上役への忠義を選んだ男は、どうすればいいかと悔やんでいる。
そうした辛い現実を、男は仕事終わりに缶チューハイをがぶ飲みすることで忘れる。しかし心のバランスを崩し、心身の苦痛に耐えきれない男は、ついに業務時間中にも隠れて飲酒するようになる。理性を麻痺させるアルコールは、工業化され組織化された現実のタガを外して、その苦しみを紛らわしてくれる。
しかし、お酒に酔って理性を無くしてしまうと、モーターライズされた工業製品の超人的な駆動力を抑えることができない。その結果、工場の歯車に巻き込まれて男は命を落とす。
すなわち、過去を語らず無口でいる男性は、理解されない孤独の中で矛盾に苛まれ、義理と人情の板挟みで苦し紛れに忠義を選び、結局は組織化された工業社会の犠牲者となる。
そして、家に一人残された女。それを慰めるのは、男の羽織っていたジャケットの香りだ。女は仏壇の前で手を合わせながら、自分もいつか雲になって空の上で亡き夫と抱き合いたいと願う。
これから本研究結社のぶりゃんに頼んで、曲を作ってもらうとする。
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