読書感想文 『テロルの原点 安田善次郎暗殺』


この本は、最近暗い時代になったとか、何か日本は悪い方向に向かっているのではないか、と不安に思う人にとって多くの示唆を与えてくれる。
なぜならこの本に描かれる人物「朝日平吾」こそ日本の行く先を憂い行動を起こした人物だからである。大正、昭和期の一定の人々にとって彼は英雄であった。他方で現代においては彼こそが戦前、戦中日本の暗黒期を招いた元凶だとする人もいる。少なくとも戦前において「朝日平吾」とは一つの課題であったし、多くの知識人がそれに取り組んだ。この本の著者中島岳志は半ばロマン化されている朝日平吾の神話とは距離をとりつつ、残された手がかりから内在的な批評を試みている。

その試みはある程度成功しているといえる。中島の手によって描き出された朝日はあまりにも人間らしい。怒ったり、悲しんだり、喜んだり。人間らしさが英雄性を高めることもある。西郷隆盛のように。しかし、この本を読む限り、むしろ朝日に感じるものは逆である。あまりにも人間的な気難しさ、もっと言えば面倒くささである。あまりにも高い理想を掲げるがゆえに、現実と理想とのギャップに苛立ち、周りにぶつける。朝日の人間的などうしようもなさは散々書かれているが、他方同じく書かれている朝日が抱えた社会への怒り、理想はまっとうなものだったように思う。格差是正と貧困層の救済、北一輝の影響はあったにせよそれは同時代人が抱く一般的な危機感だったように思う。

このように理想と現実のギャップに苛立ち、攻撃性を持つ人は現代でも一定数いる。特にSNSによって可視化されやすくなった。問題はこのような可視化された攻撃性、暴力が似たような人の共感を呼び、仲間を増やしかねない点にある。

朝日平吾と彼が起こした事件、それとともにある問題はアクチュアリティを持っている。この本は2008年に起きた秋葉原事件の影響を受けて書かれたという。そして2022年に発生した安倍元首相銃撃事件を受けて文庫化されている。これらの事件を受けて、近代の初めに起きた類似事件を振り返るのは必然である。そこから受ける示唆もある。

しかし、著者が出す結論にはどこか釈然としないというか、苦し紛れの印象を受ける。それは非合法的な暴力がさらなる非合法的な暴力を誘発し、結果としてそれに対する治安維持的な暴力を増大させるから問題である、というロジック、結論になるからである。中島は朝日の内在的な批評を試みていたにも関わらず、最終的には効果論的な結論に至ってしまう。それは言い換えれば他者の理論である。しかし、テロルに至る道筋を内在的に行ってきたのであれば、批判もまた内在的に行われるべきではなかっただろうか。
今まさに暴力しかないと結論付けようとしている人に対してこの本は無力であるように思う。それは中島の批判は最後の最後で他者の理論になってしまうからである。何事かを決意した人はすでに確固たる理論を自分の中で築き上げており、それを他者の理論で批判することは無力であるのではないか。中島は読者に何事かを訴えかけるべきだった。

中島は事件を「起きてほしくなかった」と嘆いて見せるのだが、それは中島の批評の敗北や無力さを端的に表している。

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