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普通の子どもになりたかった
私は双極性障害で、ここ数年ずっとうつ状態なので何度も「反復性のうつ病」ではないか、と疑ってきた。
双極性障害の中でもこんなにうつが続くことがあるのだろうか、と。
でも、長い人生スパンで考えた時に発病が10歳のうつ状態(不登校、診断は受けていない)と考えると寛解期や軽躁の期間も何年もあってやはり双極性障害で間違いないんだな、と思った。
人生で一番辛かったのは10歳の頃かもしれない。子どもは家族と学校が世界の全てで、親からは「なんで学校に行かないんだ!」
「学校を休んでいるのにテレビなんか見るな」
ときつい言葉を受けたりしたが基本的には優しい両親だった。
私は学校でいじめられていなかったし、勉強も普通にでき、お友達もいた。だけど、身体はだるくて好きだったこともできなくなった。何もやる気がなかったし食べたくもなかった。
夜は寝付けずにずっと天井のシミやオレンジ色の豆電球をただ眺めていた。
大人になると言語化できるので人にどれほと辛いか、説明できる。理解してもらえるかは別にして。あまりに子どもすぎたので、言葉にできなかった。しんどさを伝えられなかった。
ある時、「買い物に行こう」と両親に連れ出された。とても珍しいこと。
そうしたら、そこは何かの研究所で質問をいくつかされたり、箱庭をやらされた。
私は騙されたのだ。
当時は箱庭療法なんてもちろん知らなかったけれど、バインダーのようなものを持った大人に囲まれて、これは非常事態だと察した。
私は両親を失望させたくなかったので、計算をして健康的な子どもらしいお庭を作った。家を置いて、周りには木を植えて、人を何人か置いて、少し離れたところに川を作った。
間違っても、絶対に川に人を流してはいけない。
そう思っていた。
私は切実に普通の子どもになりたかった。
だけどなれなかった。
その研究所での結果は今でも知らない。
「普通の子ども」の烙印を押されたたけかもしれない。
そんなうつ状態が何ヶ月も続いたある日から少しずつ学校に行けるようになった。パッと霧が晴れた。
いつの間にか鬱陶しさが消えて、5,6年生からは何事もなかったかのように普通に登校していた。
中学高校も元気に通えた。
(高校、大学前半は元気すぎた、たぶん)
そして19歳の時にまた調子がおかしくなった。
親に隠して初めて心療内科に通い、しばらくして良くなり通院をやめた。
また何年かして再発……という繰り返しの人生。
どうして私には、自分だけの厄年があるんだろう?
とずっと不思議だった。
それから前に記事で書いた婚約者に裏切られ、それからは10年以上続けて通院している。
こう振り返ると双極性障害っぽい人生だな、と思う。
人間関係や仕事はよく変わるものの、派手なことはしていないのでⅡ型で間違いないんだろう。
ここ数年は薬物治療が難航している。
働けない。
また嘘みたいに霧が晴れないかな、と何年も何年も待っている。
読んでくださってありがとうございました。
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