学校をズル休みしたときに感じる気持ちはなんだろう?
まいど、黒井です。
皆さんはもう「お仕事」はじまってますか? それともまだ? 学生の方は明日からはじまるというひとが多いのかしら。
かくいうぼくは就職してさえいません。ブログを書くことで収益を得ているものの、それだけではとても暮らしていくことなどできない金額です。
調子が良いときは記事を書くことができても、調子の悪いときにはまったく書くことができなくなってしまいます。その日その日の気分しだいで書いたり書かなかったりするわけですから、なんともメリハリのない生活です。
がくっと調子を崩してしまうのには(例外もありますが)いくつかのパターンがあります。それは広い意味で「変わったとき」です。よくあるのは「精神の状態」や「肉体の状態」、それから「環境」の3つ。
これらが変化してくると、調子が悪くなり、記事を書くことはおろか、部屋の掃除やハミガキ、入浴、睡眠、爪切りなど、ありとあらゆる「ふつうのこと」ができなくなってしまうのです。
明日、明後日と、ぼくを取り巻く環境が変化します。
それは「お正月モードから日常生活モードへと切り替わる」という変化です。社会生活を営む多くのひとたちからすると当たり前のことなのでしょうけど、ぼくはニートのようなものですから、お正月も日常生活もありません。しかし、ぼくの父と母や、実家へ帰ってきている弟は違います。
とうぜん両親の仕事ははじまり、弟はひとり暮らしをしている家へ帰ってしまいます。その結果ぼくは「おいてけぼり」になってしまうのです。
もとよりメリハリのある生活を送っていませんから、オンとオフを上手に切り替えることもできません。よってだらだらと、いつまでも「お正月の延長」のような生活をつづけてしまうのです。
毎年のことですが、この問題はまったく解決することができません。だって、人間だれしも「いつまでもだらだらしていたいもの」でしょ?
この考えだから、毎年まいとし、だらだらと過ごしてしまうのでしょう。
しかし、それだけではありません。お正月につかの間の休息をとった両親や弟や彼女が、ふたたび活動をはじめるとき、ぼくはいつも、彼らと自分とを比べてしまうのです。
だらだら過ごそうと思えば一年中でも「だらだら」することのできる、することのできてしまう自分。そして、だらだらしたくてもできない多くのひとびと。比べると、何だか悪いことをしている気分になってしまいます。
学校をズル休みしたときのような、ほんのちょっとの「特別感」と、こんなことをしていていいのだろうかという強大な「罪悪感」とが、胸の中で激しくぶつかりあう。
子どものころは「特別感」のほうが強かったけれど、大人になるといろいろ悩んでしまいます。ずっと子どものころのようにズル休みをしたときの特別感だけを味わいたい。でも、そういうわけにはいかないんですね。
ぼくの胸の中に残るのは、
Twitter:黒井@ガチひきこもりブロガー
ブログ:たのぶろ
お供え:黒井の欲しいものリスト