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今に活きる伝統と文化-茶の湯

頼朝さんが造った鎌倉から800年の時が経ち

令和の今、武家が築き時空を超えて私たちに語りかける事を幾つかひもといて見たいと思います。

四月・五月は茶摘みの季節。鉢の木にもお茶の木が数本あり、今年も綺麗な新芽が芽生えています。秋になると花が咲き実が種となります。その種をお客様に差し上げています。

茶が茶道と言われ、「茶の道」にまで昇華したのは禅・武士道との結びつきによるものと思われます。因みにチャドウ・サドウとよみ、チャドウであった読み方が、サドウになったらしく両方とも正しい読み方です。

茶道は江戸時代以降、広く武士のたしなみにもなっていましたが、戦国時代の武将たちが、茶碗の名器や茶道具を競って戦いにまで至ったことは、幾多の歴史書が著しています。

そして能がそうであった様に、茶道も都と地方都市の間に日本文化の太いパイプを造ってきました。

大正時代に入ると、女性のたしなみとして、又交流の場として茶の湯を楽しむ場が増え、財界の著名人も広く「茶」を通しての交流が盛んになりました。

戦後女性の活動の場が飛躍的に広がり、男女問わず茶を楽しめるようになりカルチャーセンターでも人気の講座になり今に至ります。

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鎌倉には禅寺が多く、特に栄西が開いた寿福寺は、鎌倉五山の第三位として栄えました。薬草として中国から持ってきた茶の木を植え、日本に於ける茶のルーツとも言えるお寺です。源実朝の病を治した話は特に有名です。

「禅」に共通する佗茶の精神性は、現代は国内に止まらず、欧米でも広く親しまれるようになっており、国賓を迎えるときにも、必ずと言ってよいほど、呈茶(茶で客をもてなす)でお迎えすることからも大切なコミュニケーションの場として、活かされています。

「和敬清寂」は、茶の湯の心持ちを素直に表した四文字熟語で茶室に頻繁にかけられる言葉です。まさに静かに平和と安寧を祈る言葉であり、今の時代に最も求められる心持ちではないでしょうか。

私見を交えて書いてみましたが、次回をお楽しみにしてください。

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おまけに

鉢の木には、店の入り口に自然石をくりぬいた「つくばい」があります。手を清めて部屋に入る為の水鉢です。

現代では、形式的になっていますが、神社仏閣で身を清めるためにある大きな水鉢と柄杓に通じるもので、まさにこの時代に於いて大切な、日本人の清潔感にも通じるものですね。

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