【書評】宇ノ倉なるみ『隕石にむかってゆく』
対象書籍 『隕石にむかってゆく』
著者 宇ノ倉なるみ
出版社 私家版
発行日 2022年5月29日初版
透明な糸をつかむ
予想外の出会いこそが即売会の肝だと思っている。なので2022年5月29日に開催された文学フリマ東京で『隕石にむかってゆく』を手に取ったときも、私はこの詩集と著者について一切の予備知識を持っていなかった。
表紙にはビル群と空に伸びる大きなキリンが一筆書きで描かれている。詩集に挟められた宇ノ倉氏の名刺には「詩/デザイン/ひとふでがき」の文字があった。詩自体も丁寧に描かれた一筆書きのように感じた、のは名刺を見たからだけではない。宇ノ倉氏の詩には適度な飛躍がある。予想外の語句が出てきて驚くが、よくよく観察すればそれらの間には細い糸が通っていて、まったくのナンセンスではないことがわかる。ビルの側面とキリンの脚のように、語句同士も繋がっている。一筆書きというよりは刺繍かもしれない。表面からは見えなくても、線と線は布地の裏でちゃんと繋がっていて、どこかをひっぱれば一本の糸になる。その、ごくわずかな必然性で繋がった行たち、その行たちによって編まれた詩が表す像は不思議で魅力的だ。
「蝸牛のさ/殻ってハッカ色して/指で雄と崩れてしまうよ/そこに蟻が住んでいるのを知っているのに/配慮なく/潜水艦は/模倣された海のいきもの/溝の深さに誘われた水圧で/デッサン鉛筆になってくね/醜いよ」(「うむ」)。蝸牛・蟻・潜水艦、対象のサイズが目まぐるしく変わるが、そのどれにも冷徹な視線が注がれている。蟻のくだりからの「配慮なく/潜水艦は」はハッとさせられ、背筋がつっと冷たくなる。命あるものはみな残酷性を秘めている(それこそが生きる原動力になる)のかもしれない。だとしたら、出産とはこの世に穢れを一つ増やす行為と言えよう。
「グッピーの素揚げは/尾の色素が熱で壊れてしまうため/食紅で塗るのだ/(中略)/母親らしきひとが/私の目をぬぐう/重ね付けしたコンタクトレンズをはがしてくれる/栓のとれた瞼が膿を放って/店番の子がゆっくりと透明になってゆく」(「祭り」)。不条理な光景だが、なぜだか懐かしさをおぼえる。宇ノ倉氏の語り口は淡々としていて、どのようなことも「これが事実なんだよ」とやさしく諭してくれて、抵抗なく受け入れてしまう。
宇ノ倉氏はすでに各雑誌の投稿欄で数度の入選・佳作を果たしてはいるものの、まだ「見つかっていない」詩人だろう。そういった人物を発掘できることが即売会の魅力である。