2011.3.11のキオク②
2011.3.12
眠れず、車内で朝を迎えた。
まともに食べるものは、ない。親の勤務先にあった、栄養ドリンクと乾パンのみ。モサモサの乾パンが、なかなか喉を通っていかない。
余震が続き、恐怖で体が震えて、精神がすり減っていく。
大津波警報が解除され、注意報に変わった。
車内でラジオの情報を耳を澄ませ、気をつけながら、実家へ向かった。
実家へ向かう道中も、津波の被害で、
泥だらけの道・家
車が突き刺さった家
跡形もない道
散乱する瓦礫
を見てきた。
実家付近に着いた。しかし、まだ水が残っており、家にたどり着くまで、大きな水溜りのようなところを何度もずぶ濡れになりながら、歩いた。
やっとのことで実家に着いたが、そこには、昨日の朝とは全く違った光景が広がっていた。
1階の窓ガラスが全て割れ、窓際にあったリビングのソファーが、全部津波で家の奥に流されて、積み重なって、泥だらけになっている。津波で流されてきた魚が散乱している。泥臭さと魚の生臭さが混じって、吐きそうだった。
流されてきたご遺体が無かったのはせめてもの救いだった。
2階の自分の部屋までは波が来ていなかったようなので、使えそうな衣類や荷物をまとめて、実家を後にした。
とても住めるような状況ではなかった。
消防署に寄って、炊き出しをいただいた。しかし、重湯のような、米の粒もほとんどない、味もないお粥を紙コップ1杯しかもらうことが出来なかった。
また、避難していた場所に戻り、その日も車中泊を続けることに。前日に車を停めさせていただいたお宅の敷地に、再び車を停めさせてもらう。
変わらず、電気、ガス、水道がストップし、携帯電話が使えない状態。情報は車のナビのTV、ラジオのみ。
まだ、長くなりそうなので、続きは後ほど。
合わせて①も読んでいただければ嬉しいです。