気持ちに言葉が追いつかなくてキーボードを触る気力も無かった〜知的障害の方の生活支援の難しさを知る
タイトルそのままです。
三連休明けから色んな事が怒涛の様に起き
気持ちが追い付かずに過ごしていました。
正直、今もですが
私に何が出来るわけでもありません。
障害者福祉の仕事をし始めて
毎日が何かしらハプニングでした。
でも問題と言われる行動をする方には
その行動が起こる前兆があります。
私達は問題を解決する、とか
課題をどうにかする、と言うより
行動が起こる前兆が何かを探究し
除去する、または配慮する事に重きを置いています。
それが支援だと言う考え方が私は好きです。
課題ばかり見つけて頭を抱えるより
何がそうさせるのかを見つけて
出来るだけ問題の要因を無くしていく。
障害で1番困っているのは支援者ではなく
ご本人だ、と言う考えです。
ぶっちゃけ多くの方を支援する中で
自分には手に負えないとか
どうしたら良いのか途方に暮れる時があります。
でもそこで手を離してしまっては
ご本人をサポートする人間が1人減る事になります。
依存はいけない、そう思われがちですが
依存先は細い糸の様に
沢山、多方面に張っている方が生きやすいのです。
その先が1つだけになってしまうと、
その1つがNGとなった時、本人は潰れてしまうでしょう。
誰を頼って良いのか、と1人孤独を生きるしか無いのです。
そうでなく、依存先は出来るだけ沢山作りましょうと声をかけます。
それは私達も同じです。
私がどうしようもないと思っても
相談支援事業所の担当の方がいる、
医療機関がある、
自治体の福祉課がある、と繋がりがあれば
みんなで支援をどうするのかシェア出来ます。
本人にも支援する側にも負担が少なく
また、偏った見方になる危険も回避出来ます。
でも『他人と繋がる』事を嫌がる方もいらっしゃいます。
障害者だと思われたくない。
自分の家族の事に他人が入って欲しくない、
そんな思いがあるのかもしれません。
その方の家族もそうでした。
知的の妹を姉が幼い時から支え、
両親が亡くなった後も隣に住み
妹さんが、同じ知的障害の方と家庭を持っても
母親代わりにずっと3人の甥姪を育てて来られました。
妹さんは子育てはほぼ放棄で
父親にあたる方はA方就労で働いていらっしゃいましたが、
一昨年、癌になり入院する意味が理解出来ず
病院に入院したと思ったら
奇声を上げる、暴れると言う理由で退院させられ
結局、本格的に治療が始まる前に、亡くなられました。
すっかり成人した3人の兄妹は
私が働く法人の就労移行支援を利用され、
私が担当したのは1番下の女性でした。
母親代わりの姉、叔母さんは
その家族のキーパーソンであり
また福祉との関わりを拒まれても来ました。
相談支援事業所の担当が家に行っても
玄関先で立ち話されるだけ。
叔母さんも長く精神科に通われて
入退院の繰り返しで、
私が強烈に覚えているのは
『お弁当を母が作りました』と持って来られたお弁当を見ると、
全く火が通っていない冷凍食品がそのまま幾つか入っているだけでした。
ある日は、ご飯とところてんがロッカーから出て来た事もあります。
基本的にはいつもカップラーメンでしたし
晩御飯はポテトチップで済ませました、とかは
良く聞いていました。
洋服も毎日同じもので、全く季節感はありません。
ある時、バックから大量の蟻が出て来た事もあります。
彼女は就労の前に、まず生活面を整える必要がありました。
相談支援事業所と連携し、
医療機関とも繋がって貰い、
毎日の食事や生活を細かく毎日ヒアリングしていました。
1年半、通所し
昨年秋、特養の施設に就職が決まり
彼女は卒業したのですが、
その後も生活面の崩れから課題が出ていましたが
寝坊もせず頑張っている事を聞いていました。
キーパーソンだった叔母さんの具合が良くないとは、聞いていました。
私は就労移行支援員なので
ご就職が決まれば、一旦そこで関係は終わります。
その後は定着支援と言って、長く働ける様に、
ご本人と雇用先との間に入って支援をする者が
引き継ぐのですが、
相談支援事業所の担当と一緒に
彼女の就労をサポートし
必要ならば叔母さんとコンタクトを取って来ていたのですが、
叔母さんが自ら命を絶たれました。
彼女から定着支援員に『叔母さんが居ない』と
連絡があり、
その前日にも未遂を起こしていた様で
結局、先祖が祀られているお墓で
自分で生涯を永久に閉じられたのです。
知的の妹さんは状況を真正面から理解する事は
出来ていない様です。
突然サポートを失った兄妹の3人の動揺は
どんなだろうと思います。
障害年金の管理から、健康面の管理など
叔母さんが担っていた事は大きく
それを3人がそれぞれ行うのは難しいでしょう。
かろうじて家族の形を成していたものは
キーパーソン亡き後、行き場を失ってしまいました。
これから母親を含めた生活支援をどうするのか。
知的障害の方の生活支援の難しさは
以前からもありました。
あくまで私は就労移行支援員ですが
やっぱり精神面や、生活面の安定の上に就労が出来るのです。
そこも私達はアンテナを張る必要があるのです。
でもこちらがどれだけアプローチしても
拒まれる事は珍しくありません。
『障害をクローズしたままで就労したい』と
そう言われる方は少なくないからです。
それでは就労移行支援から就職をご案内する事は
不可能です。
就労移行支援の利用がイコールで
障害がありますと言う事になるのですから。
精神や発達の方の難しさもあります。
しかし、やっぱり知的の方の生活支援を思うと
とても難しいと感じます。
自分の出来ている事、出来ていない事が分からないのは、『気付き』力の弱さが原因の様な気がします。
支援って何だろうと思います。
色んな方と出逢い、難しさもあるけれど
それもご縁だよなと思っていました。
でもそれだけでは、その方の生き方が変わる訳でも無く、向上すると言う訳でも無い事を
バシンと突き付けられた気がします。
人と関わるって難しいんだなと
今、それ以上の言葉を見つける事が出来ません。
数日間でしたがnoteを離れていて
皆さんの記事を読むことで落ち着けています。
ありがとうございます( ´ ▽ ` )
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