これぞアダルト・センテンス(大人の文章)~「旅人-ある物理学者の回想」(湯川秀樹著/角川書店刊)~


(えっ!?)
所有している本の、帯に目をやりビックリする。
「1989年 角川文庫フェア」
とんでもない程、大昔。昭和と平成の狭間の時代。いわゆる「バブル」という奴ね。
(もしや、絶版になったかしらん?)
思いアマゾンで検索をかける。と、今も同社でしっかり販売されている。
が、多少体裁が違う。今や「ソフィア文庫」と銘がある。
わたしの持っているのは、宇野亜喜良(うの・あきら)さんの挿絵版だが、今はもう一寸、柔らかいと言うか、何と言うか。
(はぁ~っ)
月日は経ってしまったのね、ひたすら脱力するだけだ。

姉2人、兄2人、弟2人&自分。
7人きょうだいの真ん中であり、3男坊。そして母方の両親・父方の祖母が家族構成である。
「あまり評価された方ではなかった」
回想する。
父親とは、かなり大きくなっても、しっくりとゆかなかった。
母親とは、いつも響きあったけど、何せ時代は明治である。
夫を立てて行動するのが、良妻賢母の鏡。少なくても夫の前で堂々と、一人の子供を褒めたり、認めたりする言動は控えた方が賢明だ。
長兄・次兄に比べ、おっとりしている。神経質で、良く泣く子。一寸変わった感じも拒めなかったから、父親としても評価できかねる。
「少なくとも、数学に関しては、秀樹君は天才です」
「嘘を言っていると思われるのなら、あの子を貰ってしまってもいい」
そんな父の思いを払拭させたのが、森外三郎先生だ。
(どうしたもんだろう)
薄ぼんやりとした思いを描きながら、帰途道を向かった。
と、たまたま会う。先生が、父に断言したのが以上の言葉だ。
「運命」としかいいようがなかろう。読む度、わたしはイメージする。

夫人との出会い、養子に入った湯川家。氏の実家・小川家では、祖父も父も養子であったから、特に抵抗はなかった。
「○○樹」
子供の命名についても、てっきりわたしはご自身の、そして共に育った兄弟につけられていた「樹」をとるのかと思ったが、産まれた日の天気から命名という、ユニークな一面も覗かせる。

物理学者であり、理数の人。
なのに、文章が文系っぽい。すんなり頭に入って来る。
わたしが子供の頃に愛読していた「子どもの伝記シリーズ」(ポプラ社刊)で、湯川秀樹はトップ。第一巻めにあげられている。
肖像画が表紙にあるが、歯を食いしばった人。殴られる前みたく、必死に耐える人。まるで殆ど笑わないような感じを受けるが、実際は良く笑う人だった。
「男は、人前で歯を見せるな(=笑うな)」
言葉が横行していたのだろうか?
驚くなかれ、この文章を書いた時、氏は未だ30歳そこそこだった。
大人の文章(アダルトセンテンス)
昭和初期の大人の文章って何て大人なんだと、思わずにはいられない。
仮にわたしが、昭和初期に生きる大人。
30前後だったとしても、まず書けない文章だ。

#創作大賞2023

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