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卵焼きをあなたと囲む頃に

夫のコレステロール値改善のため、魚定食のようなご飯を意識している。

焼き魚、五穀米を混ぜた炊き立てご飯と味噌汁。
そこに糠漬け、卵焼き、できればもう一品野菜で副菜をつけるとそれっぽくなる。
多分コレステロールの改善という意味では卵焼きをキノコの和物とかに変えた方がいいんだろうけど、卵焼きはついつい作ってしまう。
卵焼き用の鉄のフライパンがあるからだ。柄には私の名前が入っている。

数年前に友達とプレゼント交換した際にもらった、思い出の品である。
プレゼント交換といっても、大人数で交換するようなパーティー企画ではない。彼女と私、一対一でプレゼントを贈りあった。

私の誕生日が5月、彼女の誕生日は6月。
どちらからともなく、「欲しいものはあるか」と聞き合い、「お互いに贈るなら欲しいものを示し合わせたうえで交換しよう」という話になった。
サプライズというのは、嬉しいけれど悩ましい面もある。万が一欲しくないものだったらどうしようとか、どのくらいの価格が適当か迷ってしまうとか。
その点この提案はお互いに欲しいものや値段を把握しているし、合理的だ。
そして何よりも、この提案は2人の信頼関係の上に成り立っている特別なものである気がして、胸がぎゅんとした。

彼女のオーダーは、Aesopのハンドクリームと私のおすすめのお菓子であった。
以前から目をつけていた色とりどりのカヌレと、ピンク色のハンドクリームを彼女に送り、代わりに私は卵焼き用の鉄フライパンをもらった。

一人暮らしを始めて数ヶ月だった私は、おいしそうなお弁当を作ることに憧れていた。中でも素朴で、黄色く輝く卵焼きを作ってみたかった。
いつも余り物を詰め込むだけの茶色いお弁当が、卵焼きが入ったらどんなに華やかだろう。そう思って彼女からの贈り物には卵焼きのフライパンを指定した。
自分で買うことも考えていたものの、一人暮らしを始めたばかりというのはいろいろ物入りである。生活するのにはお金が必要なのだと知るタイミングでもある。数千円とて、卵焼きを作るためだけのフライパンはなかなか手が出なかったから、彼女とのプレゼント交換は絶好の機会であった。

ただ、彼女からの贈られた鉄のフライパンは、私には無相応な代物であった。毎日自炊し、そのあまりでお弁当をつくるだけでもやっとなのに、卵焼きを別で作るところまでなかなか辿り付かない。

また、鉄フライパンはテフロンのそれとは大きく違っていた。油慣らしや油返しといった、鉄フライパンに油を馴染ませる作業が推奨されていたし、すぐに熱くなるのではじめて卵焼きを焼いた時は焦げ付いてしまい、焦げたスクランブルエッグのようなものになってしまった。
卵焼き用なので、日々の自炊の中ではなかなか手が伸びないうえ、上手く扱えない。その歯痒さで、卵焼きフライパンは数週間で戸棚の奥に仕舞い込まれてしまった。

その時、彼女ともちょっとしたすれ違いがあってあまりこのフライパンを思い出したくなかったこともある。
戸棚の奥に仕舞われたフライパンに再び対峙したのは、一人暮らしの家を去る引越しの時であった。このフライパンをみとめて、捨ててしまおうかと一瞬よぎった。
彼女とは、全く連絡を取らなくなってしまっていたから。

彼女との諍いは、考え方やスタンスの違いによるものだったから、それはそれ、これはこれと線引きすればすぐに上手くやれると思っていた。
けれども彼女に言われた言葉、その時自分が思ったこと、不甲斐なさ、少しのいらだち、もう修復不能なのではないかとい不安がぐるぐると反芻し、とりあえず目に見えるところから彼女の存在を消したかったのだと思う。フライパン自体を上手く使いこなせないことも相まって、この状況をリセットしたかった。

結局は、捨てられなかった。
フライパンの柄の部分に私の名前を入れてくれた彼女の愛情を振りきれなかったからである。
「名前入れておいたからね」と得意げにしていた彼女は「今度遊びに行った時に卵焼きを作ってね」と言っていた。
家に来てくれたお礼に、よくご飯を作っていたから、私も「まかせて」と返事した。
もしその時がやってきて、このフライパンを捨ててしまっていたら、本当に彼女との絆が修復できなくなるかもしれない。
逆に言えば、これを捨てなければ。
きっと彼女とまた笑って話ができる。そんな願掛けも込みで、新聞紙に包み段ボールに入れた。

引っ越してからも一年ほど寝かせていた卵焼きフライパンを、最近また使うようになった。お魚定食風ご飯のおかげである。
最初のうちはやはり扱いにくかったのだが、なんども作っているうちに要領を得てきている。今ではほぼ焦げ付かない。
鉄フライパンは、使えば使うほど油が馴染んできて、使いやすくなるということを初めて知った。確かに、昔気まぐれに使っていた時よりも1週間に1回程度使っている今の方が油でしっとりとして調子がいいように思う。

彼女とは一度食事に行った。
驚くほど普通だった。多分彼女も私も、普通を装っていて、何もなかったかのように振る舞っていた。
お互いの心のうちを打ち明けるには、まだ時間がかかるのかもしれないが、その間により美しい、美味しい卵焼きが焼けるようになっていればいいのかもしれない。

私はこのフライパンに油を馴染ませて待っている。
しっとりとした、甘めの卵焼きを、彼女はきっと「おいしい」と言ってくれるだろう。
今は静かにこの想いを寝かせておく。

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