見出し画像

家族のかたち、餃子のかたち

今思うと、祖母の餃子は芸術の域だった。

肉だねを皮いっぱいに、今にもちぎれんばかりに押し込み、それでいてヒダは整っている。
それも、片面だけではなくて器用に両面ヒダをつくられた自立した餃子たちは、焼くのがもったいないくらいの見栄えだった。
家族6人分、祖母の「すべての子どもは食べ盛りである」といういささか乱暴な理念のおかげか、ざっと80-100個くらいを一人で包んでいたと思うから驚くと同時に頭が下がる。
整然とした餃子たちが、所狭しと銀のバットに整列する様子は、博物館かどこかに現代アートとしてかざってあっても、きっとみんな驚かない。

そんな芸術品を前にしても、それが普通であった10歳の私は、いつまでも「普通の餃子」が包めないことにもやもやしていた。
時々祖母の手伝いをすると、
「片面だけでいいよ」と言われたが、それは餃子の普通ではない、甘やかされているのだという恥じらいさえもっていた。
人差し指と中指を起用に動かす祖母の神業を真似てみたものの、出来上がった不格好な餃子が、祖母の神業餃子の横に並ぶと、いたたまれない。

食卓に並んだ餃子を「ゆうちゃんが包んでくれたのよ」と言って見せびらかすようにされると、とりあえず自分の作った不格好な餃子を隠さねばと、箸のスピードが上がった。

何度か手伝ううちに、だんだん上手にはなったが、今でも祖母の現代アートの足元にも及ばない。

*

最近は結婚して、夫と餃子を包むことも多くなった。夫はあまり料理に興味がなく「食べれればいい」という精神性の持ち主だったのだが、料理を請け負う私への負担を推測ってか、できそうなことは手伝ってくれる。
餃子は「できそう」認定されたらしかったが、最初はやはり包むのに苦戦していた。

肉だねの量が多すぎたり少なすぎたり。ひだがうまく作れず、ワンタンが出来上がったり。でも何度か包むうちに容量を得て、餃子だと一目でわかるものを包むようになった。

夫の餃子と私の餃子。
私も特段上手なわけでもないけれども、たまに皮を破いたり、端から肉がはみ出している夫の餃子をみると、餃子を子ども時代から包んできた自分の試行錯誤は無駄ではなかったと思う。

それと同時に、ふたりで並んで餃子を包む時間は、食事を共にする嬉しさとは別に「共に生きていくのだな」という静かな実感がある。
2人で家を借りて、2人で働き、2人で家事をして、2人でご飯をつくり、2人で食べて、2人で眠る。2人の生活を、このIKEAの蛍光灯の下、繰り広げられる餃子作りにぎゅっと凝縮したような。

子供の頃、これが普通と認識していた餃子は「祖母の餃子」であった。今、目の前にあるのは「私の餃子」であり「夫の餃子」である。
夫が何度練習しても、私と同じように包めるようになるわけではない。
祖母と私の餃子がそうだったように。

けれどもどこか似ているようなその2つは、結婚した我々が2人でいる形のようで、嬉しい。
祖母も多分、孫の不格好な餃子が皿に加わったのを見て、日に日に変わる家族の形を見ているようで愛しく、少し切ないような気持ちだったのではないかな。

皿には夫の包んだ餃子と私の包んだ餃子が並んでいる。
餃子の皮の枚数ぴったりに、肉だねを包み終えると嬉しい。
2人で美味しい餃子をつまめるなら、誰に褒めてもらえなくてもよいのだ。

いいなと思ったら応援しよう!