ミニマリストになりたい③ (時代と消費行動)
高校生の頃…
『あなた方は新人類だから』
と言われたのが、強く印象に残る言葉だった。
バブルの頃に就職し、『バブル世代』にも該当するらしい。
明るくて楽しい華やかな時代だった。
DC (デザイナーズ&キャラクターズ)ブームだった。
地元のデパート、三越やPARCOに洋服やバッグ、靴を買いに行った。
日本人は自分を『中流家庭』と思う『一億総中流家庭』の時代だった。
今のようなショッピングモールはなく、買い物はスーパーかデパートだった。
買い物をするのが楽しかった。
個人商店でも買い物をしたが、今や個人商店はあまり見かけなくなった。
戦後生まれの親は、高度経済成長期に結婚し、モノをたくさん所有することが幸せの象徴だったのだろう。
家は、収納出来る場所が多く、たくさんのモノがあった。
大量の消耗品 (タオル、ラップ、トイレットペーパー、ティッシュ、歯ブラシ、洗剤、調味料などなど…)があった。
実家じまいの時には、在庫してあった消耗品を使ってくれる人に引き取ってもらった。
安いからという理由で、たくさんのモノを購入し、在庫し、結果的に使わずに人に上げたり、お金を出して捨てる事は本当に安いのだろうか?と疑問を持った。
親曰く『子どもの頃、たくさんの切手を持っている人 (コレクションしている人)が羨ましかった。』のだそう。
昔は、記念切手や旧紙幣に価値があったのだが、時代が変わり今はもう価値がない。
親がたくさんのモノを集めるルーツだったのかもしれない。
中学生の時に言われた。
『これから、あなたたちの時代は、
大量生産、大量消費の時代になります。』
が単語としては理解出来るのだけれど、全体的に何を言っているのか中学生の私はさっぱりわからなかった。
『大量生産』は大量に生産すること。
『大量消費』は大量に消費すること。
そもそも人間が消費する量は、そんなに増えるもの?
『大量消費』の意味が理解出来なかった。
使い捨てのモノはなかったし、モノは大切に使っていた。
買う時もよく考えてから買っていた。
100円ショップが現れ、
いつしか『安いから』という理由で、
大して欲しくもないモノを買うようになった。
一体いくつの100円商品を捨てただろう?
『100円のモノは運を下げる』と言われたことが今ならよく理解できる。
少し前に消耗品を買いに100円ショップに行った。
入って早々に、ハロウィンやクリスマスの飾りがたくさん陳列されていて、100円だからツイ欲しくなるなぁ。うまく仕掛けられていると思ってみていたら、
母『もうたくさん買ったからダメだよ。』
娘『えぇーぇ まだ、欲しい!』
と母娘の会話。
きっと1000円位は軽くいくのかなぁ?なんておぼろげに聞こえていた。
安いからという理由で、安易に買い、モノを大切にしないことが運を下げることにつながるのだそう。
(この100円の積み重ねが一体いくらの金額になっているのだろう?)
ずいぶん前にファストファッションで買った洗濯するとすぐに着ることができなくなったセーターにショックを受けた。
昔は、修理して使用していたモノは、今は買った方が安いからと新しいモノを買い、結果モノが増える。
今の時代『もったいない』は死語だ。
実家じまいがきっかけで『ミニマリストになりたい』と思うようになり、
『モノ=お金=時間=人生』の考えが頭の中でぐるぐるまわる。
昔に比べ…
スーパーは大型化し、ショッピングモールがあちこちにある。
家庭の冷蔵庫もずいぶん大きくなった。
私の子どもの頃、記憶にある最初の冷蔵庫は、今の小型冷蔵庫ほどの大きさで、冷凍室も一体化していて、大量の霜がついているような冷蔵庫だった。
住む家もずいぶん大きくなった。
家が大きいことは、家賃や税金が多くかかる。
氣付いていなかった…
ショッピングモールに行くこと自体が、
私の大切な時間を奪われていること。
ショッピングモールの中には同じカテゴリのお店がいくつもある。
パン屋さん、お肉屋さん、雑貨屋さん、おもちゃ屋さん、洋服屋さん、靴屋さん…
昔の小さなスーパーには1つずつしかなかった。
メーカーやお店は、あの手この手で、消費者に『欲しい』という氣持ちをいだかせる。
アプリ、テレビ、YouTube、X (Twitter)、メール、LINE…etc
あらゆるものにCMが仕掛けられている。
現代人は忙しいのは当たり前なんだとやっと氣付いた。
モノを選ぶには時間がかかる。
モノを維持管理するためには時間がかかる。
モノ=時間
である事を考えると…
欲しいモノがなくなりつつある今日。
『ショッピングモールに目的なく行くのはやめよう。』
そう思った。
ちささんのイラストを載せさせてもらいました。
ありがとうございます🍀