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書く・描く・造る

 1024文字

 その昔、漫画家になりたくて32ページの漫画、6本程描いて応募していた。
 あのまま描き続けていたら今頃は漫画家だったのかもと思う事がある。
 描き続けて行く内に絵はドンドン上手くなって行くのを見て、自分でも驚いた。
 評価はストーリーが斬新と褒められ、もう少し絵が上手くなると、という評価だった。
 食べる為の仕事が忙しくなり、いつしか書かなくなって行く。
 その頃は油絵だったが、見て〜見て〜なんて言えない代物が、今も実家の部屋の押入れに眠っている。
 不思議なもので、捨てる、焼く事も出来ずにどうしたものか~と思案してしまう。
 西洋美術館でヨーロッパの絵画を閲覧、そこでモローの長方形のサロメだったと思う、水彩画に出会った、その絵の前で相当の時間釘付けになり、私は水彩画を描き出し始めたが、スケッチ程度の物から一枚の絵にするのに何年も掛かってしまった。
 油絵の様に何度も塗れない、デッサン力と確かな技術力がないと一枚の絵ですとは言えない事に苦しんだ。
 食べては行けるが裕福な実家ではない、ようやく私は高校は夜の学校、定時制を卒業、デッサン教室は美大受験の人の上手いデッサンを羨ましく見つめていた。
 それからは仕事と生活に翻弄されて30年以上は、絵を描く事は出来ずに来てしまった。
 50を過ぎた辺りで絵本作家になろうと思ってしまった(笑)
 描いて応募(笑)ものの見事に落選、当たり前の話しである。
 私には文章力がないんだわ~となった。
 通信講座で童話作家があったのでやって見た。
 すると、あれよあれよとひとつの物語が出来てしまった、出来たからにはと出版社に送って見た。
 原稿の書き方も分からずに、改行等しないでびっしりと文字は埋め尽くされた、原稿100枚程。
 出版社から秀作と言われ、秀作は何故か売れないんだよね〜と言われたが、自分に投資してみた、人生初めての自分投資、そこから初めて文字との繋がりが始まった。
 今もよく分からないで来ているが、今度はパソコンの時代、付いて行くのが難義、難儀、変換してくれる嬉しさかな。
 羊毛フェルトも独学(笑)全部独学(笑)少しさみしい気持ちが、たまにモグラのようにひょこっと出て来るけど、怖い細菌が高笑いしているから、これでいいのかしらね~(笑)と濁ったステンレス色の空と、一桁の気温に身体硬直させながら(笑)
 一口かじられた後の林檎の様な、小さな回顧録は、出すべきか?出さざるべきか?・・シェークスピア。
 
 

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