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ビー玉ひとつ

こんにちは。人形劇屋トロワセット代表の【おおかみの人】です。

今回は、人形劇とはあまり関係のない話をします。

昨年はほとんどできていなかったことしの振り返りをしようかな、と思います。
とっ散らかった頭の中を、そろそろ大掃除しなければ。


1年を振り返って

2024年も残りわずかになり、ことし1年のことをよく振り返るようになりました。

ここ数年、精神的にしんどい時期を通り越して、日々日記をつけるようになって、その日記を見返してみたり。

以前ハンドメイドのアプリで購入した【したいこと貯蓄通帳】に記録した、たくさんの「したいこと」と「達成できたこと」を見返してみたり。


ことし開催した人形劇イベントの写真や動画を見返してみたり…

見返すたびに、思い出すことがいろいろあって。

その中でも、【人とのつながり】というところにいちばん重きがあった1年だったな、と思います。

人間関係の困難を経て

ことし…というか、本当は昨年の暮れのことですが、わたしはとある友人(だと、当時は思っていた人)と、もはや修復不可能な仲違いをしました。

いままでいちばん仲の良い友達だと思っていた相手に恨まれ、憎まれ、攻撃され、無視されて…

地の底に叩きつけられたような、とんでもなく非情な痛みでした。心臓のあたりがすうっと、冷たくなるのを感じたりもしました。

その人との関係が完全に切れて、もう会ったりしなくてもいいのであれば気持ちも癒えていったかもしれませんが、生活圏が重なっているためにそれも難しく、その人の姿を見かけるだけで動悸がするようになりました。そんな状態が、1年以上経ったいまでも続いています。

その人にこっぴどい「振られ」方をしたわたしは、その人に投げかけられたわたしを評価することばがグサリグサリとこころに刺さって、「わたしって、こんなに価値がない人間だったんだ」と思わざるを得ませんでした。

ものすごく落ち込んでしまって、立ち直れないかも、とまで思いました。
実際、いまも完全には立ち直れてはいません。

わたしの中で変化したこと

たぶん、これが以前のわたしだったら、その人のことばをまるっきり鵜呑みにして、自暴自棄になって、感情を爆発させ、おそらくいままで処方されていた精神科の薬をさらに増やされたりなんかして、もうどうにもならないような生活になっていた…かもしれません。

でもいまは、そうじゃない。

若い頃から精神的にずっと不安定な人生を歩んできて、自分の人生をいままでさんざんめちゃくちゃにして、人生を…「棒に振って」きましたが、あるとき出会った精神科の主治医の先生の多大なるご尽力によって、わたしの持病はかなりよくなりました。

人間らしい強さを身に着けた…とでも言えばいいのかもしれません。いや、全然強くなってないし、なんにも変わってないじゃん、と言われれば、それもまた正しいんだけれど。

「わたしはできる」

その先生のことばを信じて、わたしは自分の中の「よいところ」を探すようになりました。

日記をつけるとき、まずはじめに「今日できたこと(あるいは、よかったこと)」を3つ書きつけています。
日記を書き始めた頃は、できたことを書くのになかなか苦労しました。「今日は何もしてないから何も書けない…」と思うこともたくさんあって、それでもひねり出すように毎日3つの「できたこと」を書いていくうちに、

「あれ?わたしって意外と頑張ってるかも」

と思えるようになってきて、いままで幅を利かせていた「自分に批判的すぎる自分」の力が少しずつ弱まっていった…というか、そういう自分がなだめられていった、というか。

そうすると、少しずつ自分に自信がついてきたのか、人と関わるのに臆しなくなっていきました。

いちばんしんどいときには、外出もせず家に引きこもってうつうつとしていましたが、いまでは知り合いや友人も増えて、交友関係は以前からは考えられないほど広がっていきました。

わたしのことを知って、サポートしてくれる人が、ものすごく増えたんです。

あたたかな人たちとのつながりの中で


そんな中での、友人だと思っていた人との仲違い。

いままでならひとりで抱えてしまっていたものを、いまはシェアできる人がいます。

こんなことがあって、つらかった、しんどかった、という話を、そうだね、つらかったね、でもがんばったね、と、話を聴いてくれる人たちが、いまのわたしの周りにはたくさんいます。

だから、完全には立ち直れていないにしろ、高いところから硬い地面に激突!ではなくて、ほんの少し柔らかい低反発のマットレスに着地したくらいの傷つき方で済んでいるのかもしれません。

そのくらい人とのつながりは強いんだということを、いまさらではあるけれど、強く実感する1年になりました。

"vulnerabilityヴァルネラビリティ"との出会い

…と、こんなことを考えているときに、たまたまこのTED Talkに行き当たりました。

ブレネー・ブラウンさんは、人間の「恥」や「勇気」について研究されていて、この講演の中で話しているのは"vulnerabilityヴァルネラビリティ"についてでした。

ヴァルネラビリティ、という単語を知らなくて、辞書を引いたら【脆弱性】という訳が当てられていました。ブレネーさんはこのことばを、【こころの弱さ】や【傷つきやすさ】のような意味合いで使っています。

日本語にひとことで訳すのが難しいですが、わたしは、

【こころのまんなかのいちばんやわらかいところ】

…つまり、さらけ出すのをためらってしまうような、自分の中で自分をいちばん自分らしく…人間らしくしている部分で、柔らかいが故に、それを守るためにガードが堅いところ…だと解釈しています。
案外間違ってはいない気がします。

"Daring Greatly"を読んでみて

ブレネーさんのこの講演をきっかけに、わたしは彼女の著書を読んでみることにしました。

タイトルを日本語に訳すとしたら、【大いなる挑戦】とか、【挑戦する勇気】になると思いますが、この本の中ではヴァルネラビリティと、それを阻む「恥」というものについて書かれています。

ヴァルネラブルに、つまり、自分が弱いことや、欠陥があって「人間らしい」ことを認めたうえでありのままに生きるとはどういうことなのか、そしてそのように生きることはわたしたちに何をもたらすのか、ということが、筆者の経験や、彼女の研究の中で出会ったさまざまな人々の体験やことばを通して描き出されている、そんな本です。

"the Marble Jarビー玉の瓶"のはなし

この本の中で、ヴァルネラビリティと【信頼】について、

「わたしの家族の中では、信頼のことを"the Marble Jar"と言います」

と語られている部分があります。
この"the Marble Jar"は、ブレネーさんの娘のエレンさんのエピソードの中で登場するのですが、はじめはどういうもののことかよくわかりませんでした。

そこで調べてみると、アメリカでは学校の教室にビー玉を入れるための瓶が置かれていて、クラスのみんながよいことをするとその中にビー玉を入れて、よくないことをするとビー玉を取るのだそうです。

まるで笑点の座布団みたいなシステムで、ビー玉が瓶いっぱいにたまったら、クラスのみんなにごほうびがあるそうです。
カラフルできらきら光るビー玉がたまっていくのは、なかなか楽しいだろうな、と思いました。

エレンさんのエピソードから導き出されているのは、「信頼を築くことは、ひとつずつビー玉を瓶の中に入れていくことだ」ということです。

わたしの誕生日を覚えててくれた!ビー玉ひとつ。

楽しいことをしているとまぜてくれる。ビー玉ひとつ。

体調が悪いとき、「大丈夫?」って聞いてくれる。ビー玉ひとつ。

いつもわたしにやさしくしてくれる。ビー玉ひとつ。

こうした小さな経験のひとつひとつ…ビー玉のひとつひとつがたまっていって、少しずつゆっくりと、強い信頼が形作られていく、ということが述べられています。

わたしのMarble Jarは…

信頼を得るには、自分をさらけ出す…ヴァルネラブルになる必要がある一方、ヴァルネラブルであるためには信頼関係が必要なので、卵が先かにわとりが先か、という問題は確かにあります。

でも、わたしがいまある素敵な人たちとの人間関係を振り返ってみると、やっぱりその人たちには少しずつ自分の話をしていたし、ありのままの自分に触れてもらっていたと思うし、そんなことを話しても「大丈夫だよ」と、わたしのそばにいてくれて、そういうことの積み重ねでその人たちとの信頼関係を築いていったよな、と思います。

自分の決めたことや自分の想い、自分のあり方をサポートしてもらうことで、改めて「わたしはこれで大丈夫」と思える、というか。
説明が難しいけれど、他人に自分の価値を決めてもらう承認欲求とは、また違ったものだと思います。

わたしには「応援隊」がたくさんいる、わたしには味方がたくさんいるんだと思えることが、こころの安定…不安から少し解放された状態につながっていると思います。

友人だと思っていた人には、瓶ごと粉々に打ち砕かれてしまって、それはもう直しようがないけれど、わたしのこころの戸棚の中にはまだまだ瓶がたくさんあって、それぞれの瓶の中にはとっても色とりどりのビー玉が詰まっています。

わたしは、粉々に壊れてしまったガラス瓶を眺めて悲しみに暮れるよりも、いまあるビー玉のたくさん詰まったガラス瓶を大切にしていこう、と改めて思いました。

ありがたみを知る=感謝する

人間関係では確かに悩んだし、いまも悩み続けているけれど、いまあるあたたかな人たちとのつながりを大切にしよう、という方向に自分の気持ちが向いていったときに、まず真っ先に生まれた気持ちが【感謝】でした。

あなたがいてくれてよかった。

あなたがいてくれるから、わたしはこうして元気でいられる。

あなたと場所は離れていても、一緒にいられてわたしはしあわせ。

そういうこころ持ちになって、周りの人たちの存在のありがたみを知り、自分の価値を少しずつわかるようになっていった、そんな1年だったなあ…と、いまはそんな風に思っています。

次の1年に向けて

何もかもいろんなことがありすぎて、ひたすらに駆け抜けてきた1年でしたが、来年もまだまだ頑張りたいことがたくさんあります。

仕事をもう少し頑張って、働く日数や時間をもう少し増やせたらいいな。
もっとお金を稼いで、経済的に自立した生活を送りたい。

趣味の人形劇の方は、これから人形をたくさん作って、新しい演目も精力的に作っていきたいな。
人形劇のイベントやワークショップを、年内に3回くらい開けたらいいなあ…。

自分のことを大切にしたい。無理しない。わたしのことを大切に思ってくれる人たちのことを大切にして、ことばの通じない宇宙人みたいな人からは距離をとる。境界線を引く。
最近会えてない友達と、久々に会ってお茶でもしながらおしゃべりしたいなあ。元気をもらえそう!

…などなど。

来年は、自分と、自分を支えてくれるすべての人のことを、いま以上に大切にしながら過ごしていきたいな、と思っています。

楽しみだなあ。




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