無理は出来るけれど、無茶は出来ないの本当の意味
ミニバラの蕾が日に日に形を変え、今日は花びらがはっきりとバラを主張するようになった。
なんて言うとかっこいいが、要はとてもバラらしい姿になったって感じじゃないかな。
一時は葉が枯れ、木自体が枯れてしまうんじゃないかと気になったが、秋になってちゃんと蕾をつけた。
買ってきた時には、これより2,3日後くらいの蕾だったように記憶している。
家にはいくつかバラがあったが、こんな優しいサーモン色のバラがなかったので、買うならこのミニバラだと思った。
と、思うけど実際よく覚えていない(笑)
花は蕾が美しいて言われるけれど、このバラは確かに蕾の状態が断然美しいと思う。
開いてしまうと、花びらの色が白みがかってしまい、せっかくのサーモン色が色褪せた感じになってしまうのだ。
だから、このくらいが一番好き。
時々、確かに花開いたよりも蕾の方がいいなと思う花がある。
バラだって開いて綺麗だと思うものもあるし、色が変わらないものも少なくない。
個人的にハナカイドウは蕾の方が断然かわいいと思う。
逆に蕾はいまいちだけど、花開くと個性的って感じる花もある。
人も同じで、ごく若い頃が綺麗だったりかっこよかったりする俳優さんも、ちょっと歳を重ねた方が素敵な俳優さんも、年老いた方が味があっていいなぁと感心する俳優さんもいる。
人各々だ。
もしかしたら、生き物だけでなく何でもそうなのかもしれない。
最近痛感するのは、仕事も各自に旬みたいなものがあるのではないかということ。
休職前は、仕事はいつでも出来る限りの事を頑張るのがよしって信じて疑わなかった。
自分自身仕事をしなかった時なんて、出産して1週間程度。
それが二人分。
ちょうど自営業をしていたので、出来る限りでちょっとでも仕事をしていた。
そうするしか選択肢もなかったし、当たり前だと思っていたし、何の疑問も持たなかった。
つまり、今まで産休もろくに取ったことがなかったわけ。
交通事故にあったときも、入院した時も、あっという間に復帰したので、特に休職って事もなくここまできた。
そして今絶賛休職中なり。
初めての事だから、休職も長くなったから、復帰ということに余計に臆病になっている。
今まで突っ走って来たけれど、人生で一番仕事に夢中になる旬の時期は過ぎたんじゃないか?
ふとそんな気になった。
臆病風がなせる気の弱さかもしれないが。
何事にも時がある。
進む時、止まる時、愛する時、愛される時、無理する時、休む時。
その時をちゃんと見極める事が大事なのか。
高校3年の時、担任の先生に言われた言葉をまた思い出す。
“人間無理は出来るけれど、無茶は出来ない。今お前がやっているのは無茶だ。”
大人になってやっと意味がわかったと思っていたけど。
本当にわかったのは、もしかして今なのかもしれない。