北杜夫
わたしが一番夢中になって読み、出るたびに本を買い、考え方にも影響を与えられた作家は北杜夫だった。
初めて読んだのは中学一年の時「どくとるマンボウ航海記」だった。マグロ調査船に乗っての旅行記。
印象に残っているのは、精神科医なのに、船員が盲腸になり、死ぬ思いで手術するところとか、ゆきずりの人に高価なものをあげたりしているのに、お世話になった日本人家庭に有り合わせの風呂敷をお礼に渡したとか。これは後に結婚した夫人の家だと思われるが。
船医という職業にも憧れた。その頃女性の船医の記事が新聞に載っていて、「陽は垂直に上がった」(「沈んだ」だったかもしれない)とかいう見出しがひょっこり思い出される。
次に読んだ「どくとるマンボウ昆虫記」も面白かった。ホメロスが出てきたのはなぜだったのか〜ヨロヨロした老人が「今日ぞもようす…….アポロンの……」とか言って、そのセリフからホメロスだったのかという感じだった。そこから虫とどうつながったかは覚えていない。
また別の詩の中の ピュッと飛んだ虫がスズメ蛾かと検討したり、また似我バチという名前がなぜか印象的だった。我に似よという親の呪文らしいが、後年わたしは中世の能楽囃子方の名前に似我という名字を発見して驚いたことがあった。
全て断片的にしか覚えていないが、虫に興味が湧いたのは確かである。中学二年のとき読んだハードカバーの本は本棚に見当たらず、なぜか文庫本が残っている。
そして「どくとるマンボウ青春期」。旧制高校のバンカラに憧れた。学生たちの面妖な行動。まさに栄華の巷低く見てという気分はわたしの大学時代のグータラ生活、サボタージュの言い訳だった。そして日常から遠いことほど尊いという感覚が芽生えてしまった。そのため後に苦労することになったが当時はすっかり影響されて暮らしていた。
「楡家の人々」は、作者の家がモデルであり、精神病院を設立した一族の話で、父の斉藤茂吉がモデルであろう人物が留学先のドイツで教授と握手する時の微妙な感じとか、母の輝子がモデルの人物が戦争中でも堂々と贅沢な服装をして咎められても言い負かすところとか、生き生きとした人物群に引き込まれてスルスルと読み終えた。
読んだのは高校生になってからだが、中学の時の同級の男子に貸してあげて、その家に返してもらいに行ったことがあったが、そこでわたしはお母さんに勉強の邪魔をするガールフレンドと思われ、催促の手紙も本人に渡されていなかったことが判明した。
1960年「夜と霧の隅で」は親が取っていた文藝春秋に出ていたのを読んだような気がする。同時期の芥川賞候補の倉橋由美子のパルタイも文藝春秋で読んだと思うが違うだろうか。受賞作と候補作を同時に載せていたのかわからない。「夜と霧の隅で」は真面目で深刻な感じで、中学生には「パルタイ」の方が面白くて印象に残った。北杜夫ご本人が後に文學界2009年四月号倉橋由美子特集の中でその時のことを取り上げ、自分のは古くて倉橋さんのは新しかった、というような表現がなされていたと思う。
そのほかエッセイや「狐狸庵VSマンボウ」という遠藤周作との対談や、関連して精神科医で作家のなだいなだの本もユーモアの質が北杜夫と似ているように思い、ずいぶん愛読したものだった。
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