『水深ゼロメートルから』山下敦弘~高校演劇の映像化・女であることの疑問~
©︎『水深ゼロメートルから』製作委員会
高校演劇で有名なった作品の映像化。当時、徳島市立高等学校の生徒で演劇部所属の中田夢花による高校演劇の戯曲で、2019年第44回四国地区高等学校演劇研究大会で「文部科学大臣賞(最優秀賞)」を受賞した。『アルプススタンドのはしの方』(2020年)という高校生演劇が話題になり城定秀夫で映像化された作品に続いて、今度は山下敦弘が映画化。下北沢で上演された舞台版からメインキャスト3人が引き続き映画でも出演。
学校の水のないプールに女子高生たちが集まってくる群像劇だ。ほぼ水のないプールで演じられる会話劇なのだが、とても高校生が書いた戯曲とは思えないレベルの深い内容になっている。ロングショットを多用しながら山下敦弘監督は、水のないプールを掃除するというただそれだけのシチュエーションで、プールの底の青と溜まっている砂、そして青空、女子高生たちの制服の白と紺、隣の野球部のグランドから聞こえてくる打球音や野球部の声などで、見事に夏休みの女子高生たちのある時間を切り取っている。
高校2年生のココロとミクは体育教師の山本から、夏休みに特別補習としてプール掃除を指示される。水の入っていないプールには、隣の野球部のグランドから砂が飛んでくるのだ。ミク(仲吉玲亜)は阿波踊りの練習を始める。阿波踊りには男踊りと女踊りがあり、ミクは子供の頃から男踊りを踊っていたが、女性という性で見られることで、サラシを巻いて踊る男踊りが踊れなくなっている。ココロ(濱尾咲綺)は化粧に興味があり、女性という性を活かしながら生きていくことを既に選び始めている。掃除する気は全くなく、途中で生理が始まって寝てたりする。さらに水泳部なのになぜか部の遠征に参加していないチヅル、前部長のユイも掃除の手伝いに加わる。チヅル(清田みくり)は、昔は水泳で勝てていたクスノキに水泳でも負けて、彼が野球部の人気者になっていることと自分を比較して、劣等感を持ち自分を見失っている。車の付いた椅子を使って水のないプールで水泳の真似事をする場面が面白い動きのアクセントになっている。誰よりも水泳の練習に真面目に取り組んでいたチヅルを見ていたユイ(花岡すみれ)は、チヅルにもう一度水泳と真剣に向き合って欲しいと願っている。自らの劣等感を他者に託そうとする。そんな4人のそれぞれの思いがぶつかり合いながら、「女性であること」との現実にもがいているそれぞれの葛藤が描かれている。ココロは、生理の時に水泳授業に参加させられたことを、体育教師(さとうほなみ)に食ってかかる。事前の届け出や「メイクは禁止」という校則を理由に建前論を振りかざす体育教師とココロのバトル。教師の表の顔と裏の本音の顔。
改修工事前のプールの底の砂を掃き出すことにどれだけの意味があるのか、分からない。野球部のグランドが隣にある限り、砂はずっと飛んでくる。意味の分からない作業を命令され、やり続けるということにもいろんな解釈が考えられる。これはカミュの「シーシュポスの神話」ではないか。キリがない徒労とも言える作業。「野球部の連中は、プールにグランドの砂が飛んでいることにすら気づいていない」と彼女たちは怒る。そんな部活のヒエラルキーの関係も面白く描かれている。野球部のマネージャーである女子高生が、部員のポカリスエットを大量に買って、持ちきれないまま運んでいるシーンも示唆的だ。女性しか出てこないこの映画は、ジェンダー的な問題、「男であること」と「女であること」の違いと意味について多くの疑問や考え方が語られている。校則の建前と現実。そして組織の力関係。これから社会に出て行く彼女たちのそれぞれの未来。ワンシチュエーションの演劇的な作品だが、最後に「雨を降らす」などの映画としての工夫もあり、面白く見ることが出来た。
さとうほなみは、『花腐し』で見て以来、なんとなく気になっている。
2024年製作/87分/G/日本
配給:SPOTTED PRODUCTIONS
監督:山下敦弘
原作:中田夢花、村端賢志、徳島市立高等学校演劇部
脚本:中田夢花
製作:大熊一成、直井卓俊、久保和明、保坂暁、大高健志
企画:直井卓俊
プロデューサー:寺田悠輔、久保和明
撮影:高木風太
照明:後閑健太
録音:岸川達也
美術:小泉剛
音楽:澤部渡
主題歌:スカート adieu
キャスト:濱尾咲綺、仲吉玲亜、清田みくり、花岡すみれ、三浦理奈、さとうほなみ