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ホウ・シャオシェンの現代劇『ナイルの娘』~変わりゆく台湾の夜の街と若者たちの日々~

写真提供:オリオフィルムズ

1950年代60年代の台湾を自伝的映画で描いてきたホウ・シャオシェンにあって、異色の現代劇映画。主演のヤン・リンは当時の人気歌手だった。

母を亡くし警官の父とは仕事で遠く離れ、兄妹と三人で暮らす孤独な少女、シャオヤンは日本のコミック『ナイルの娘』に夢中。彼女は兄の経営するレストランで働くアーサンに想いを寄せ、コミックのヒーローと重ね合わせて夢中になるが、ある日アーサンは、ヤクザの情婦と恋に落ちてしまう…。

(映画.com解説より)

煌びやかなネオンの繁華街とバイクと車。自然豊かな地方の田舎都市を主に舞台にしてきたホウ・シャオセン的世界では、派手なネオンの看板が溢れる台北の繁華街は異質であり、しかも不良の兄が始めた店はピンクハウスという名のホストクラブ風レストラン。妹シャオヤンがつとめるバイト先もケンタッキー・フライドチキン(KFC)でいつも日本の歌謡曲が流れている。シャオヤンは、日本の漫画『ナイルの娘』を愛読している設定(細川智栄子の『王家の紋章』)。兄が深夜に「仕事」と言いながら「窃盗」を繰り返していてもあまり気にもとめていない。窃盗品である流行の赤いウォークマンをもらって喜んでいる。夜学に通い、兄たちとつるんでいるサンに恋しているが、サンはヤクザの情婦とできてしまい、結局は殺されてしまう。若者たちが踊るディスコシーンなどもあり、日本のバブル期を思い出させる。台湾にもアメリカ文化が浸透し、ファーストフード、音楽、ファッション、さらに日本の歌謡曲も流れている。劇中では、「ナイルの河」という歌詞が出てくる歌謡曲も何度か流れる。

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一方で夜学の教師が突然クビを切られて無職となり、兄が始めた店もうまくいかなくなり、好き放題やっていた「青春」の終りが予感される。妹のシャオヤンの視点で描かれるため、兄たちの姿も父や祖父、叔母や仲間たちとの関係もどこか距離感がある。傍観者的というか、関係の渦中にはいないのだ。

兄たちの世界の台北の繁華街と自宅のある高台はちょっと離れており、対照的に描かれる。緑も豊かで、まだ古くからある街が見渡せる。ホウ・シャオセンの映画は、いつも固定的な場所にカメラを置き、家族も含めた複数の人物たちを描くことが多い。あまりカメラを移動させず、切り返しも少なく、じっと同じ場所から人物たちを記録し続けるように映画を撮る。この映画でも、家の中の撮影はほぼ同ポジションで、しかも戸で左右が区切られており、狭い空間に食卓テーブルがあって、奥は裏庭のような出入り口があり、祖父などが出入りする。食卓では妹が勉強したり、家族で食事をする場面が何度も描かれる。腕を撃たれて怪我をした父が帰ってきて、祖父、父、兄、妹という世代の違う家族が描かれる。対照的な街と自宅、さらに夜学の学校、バイクと車で走る夜の道路などもこの映画では魅力的だ。仲間で車を借りて海辺に遊びに行き、花火をする場面は青春の終りを象徴する場面として印象的に描かれる。兵役など、これまでように自由に振る舞えない「終わり」をみんなが実感している。店を手放すことになった兄は、また窃盗を繰り返し、事件を起こしてしまう。その事件もラジオでニュースが流れてきて、兄の友達から「あの事件はきっと兄がやったのだ」と教えられるだけだ。引きの固定画面を多用するホウ・シャオシェン監督は、事件やドラマの渦中の人物たちに分け入って、その生々しい葛藤を描きはしない。この映画の主人公のシャオヤンは、逃亡するサンにお金を渡しに行きはするものの、一緒に逃げるようなドラマにはしない。そのことが余計に想像力が掻き立てられ、個人の力ではどうにもならないもの、時代の流れのようなものを感じる。台湾の街も時代とともに大きく変化しており、その変化に人々がどう合わせていくのか、若者たちのもがく姿を描きながら、時代を俯瞰しているようにも思える。この映画もまた美しい台湾映画だ。


1987年製作/84分/台湾
原題または英題:尼羅河女兒 Daughter of the Nile

監督:ホウ・シャオシェン
製作:ルウ・ウェンレン
脚本:チュー・ティエンウェン
撮影:チェン・ホァイエン
音楽:チェン・ジーユエン
キャスト:ヤン・リン、ジャック・カオ、ヤン・ファン、ツイ・フーション、リー・ティエンルー

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