【おとなの読書感想文】裸の王様になる瞬間、裸を認める瞬間。

ちょっと前なら言いにくかったことも、最近なんだかあまり躊躇せず言えるようになってきた気がする。

やばい、おばさん化?老害?

テレビや身の回りでも、こりゃ老害でしかないわと思える事例が最近多い。
この記事もちょうどそんなときに読んで、どうしたら予防できるかを考えた。

そんな時、「裸の王様」を思い出した。

久しぶりに読んでみたら、心が締め付けられた。

当時は気づかなかったけど、意外と家臣たちは王様の服は裸であることを認識している。さらに、王様も愚か者と思われたくないので、事実でないものを事実だと言っている。そして、この詐欺師たちがやり手だった。

でもなんで、誰も何も言えない状況になってしまったんだろう。

勝手に背景を考えてみた。


①裸になるまでの経緯

裸の王様は、声がでかく(だいたい権力者は声がでかい人が多い)、彼のいうことは絶対的。歩くルール教本。さらには、自分は他と違う、特別な人間でありたいと思うために、家臣を卑下することで自分を保つ構図。

大抵は、能力があったり、何かで成功したりと、キラキラの時代を過ごしている。しかし、時とともに注目が自分から離れていくことを知り、なんとか食い止めようと周りを卑下し始める。

たぶん誰しもが経験があると思うが、迫力のある人にけなされると、委縮して思考はフリーズ。何も言えなくなる。そんなのが続いていたら、何も言う気はしなくなる。如何に、視界に入らないか、気に入られるかに注力し始める。

今までの実体験から行くと、何か自己肯定感が低いというか、何かに満足できていない欲張りな人が裸の王様になっている気がする。足るを知るができない系の人。

でも、誰しもが自分は特別な存在と思いたいわけだし、ある程度の老害は仕方ないんだと思う。

だが。
しかし。

人をこき下ろしてまでも自分のメンツを保とうとするのはアウトだし、
そんな弱い自分に気づいているならまだしも、それすら気づいていない人もいた。

そういう人に難色を示すと、「アイツはだめだ」的なレッテルを貼られる。そこでも自分を正当化。で、アイツな私は怖くて何も言えなくなる。どんどん距離が離れていく。

そして、その人に意見を言う人はいなくなった。


②裸を認める瞬間

童話の中では、子どもが裸を指摘する。
現実では、若い社員の人とか、身内とかなのだろうか。

最近、怒ってくれる人が少なくなった。夫ぐらいかもしれない。

自分で気づくのはなかなか大変だと思う。気づいても認めたくないし。
あっさり誰かにズバッとやられた方が早い。

誰かに指摘されて、やばいと思ったとき、その人の器が出る。

なんとなく話をそらしたり、逆切れしたり、訳の分からないロジックで論破しようとしたり。私もすぐ言い訳してしまうことがある。

たぶん、そこで指摘を甘んじて受け入れるのが分かれ目のはずだ。
よくよく自分の言動を振返ってみる。
相手に素直に謝る。

童話の中の王様は、パレードで歩き続けた。
お城に戻った後の気まずさと言ったら、想像するだけで吐き気がする。

いさぎよく、諦めて認めること。
相手の意見に耳を貸すこと。

私にはできるだろうか、あやしい。

でも、裸の王様にはなりたくないから、自分に厳しいことを言ってくれる人に近くにいてもらう。
心地よい人たちだけで新陳代謝しないような関係を避ける。

それはやっていこうと思った。

駄文、失礼しました。


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