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神々の姿 ~ フジイフランソワ展
以前に表現力の勉強にと思ってアートを勉強したとき、様々な表現法が試みられたがすでにあらゆる方法が試みられて本当の意味での画期的な表現手段というものは生まれ得ないと言われている。という事を知りました。
今ではその上AI生成画像との競争にもさらされるというアーティストにとっては難しい時代だと思うのですが、そんな中でも新しい世界を切り開こうと頑張っている人もいるようです。
Francoisじゃなかった
事前知識など全くなかったのですが、たまたま訪れた東大阪市民美術センターで開催されていた「フジイフランソワ ムスヒ の つれ つら なり なり」という絵画展を見る機会を得ました。
「フランソワ」と名乗るくらいだから西洋画的なイラストレーターかと思ったら、つづりはFrancoisではなく、Furansowaでスタイルは日本画。題材は日本神話や妖怪など。軸足は「日本」に置きながらエンジンオイルやルイボスティーを画材として使用するという常識にとらわれない手法が斬新に感じます。
日本画。日本神話という事で描かれるものは生き物や自然などですが、いくつもの生き物~時には無数の生き物や自然(樹木や地形など)。時にはそれらを表す「文字」までもが渾然一体となって一つの存在として描かれているのは驚かされます。こんな見せ方もあるのか。と。
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OLYMPUS E-3 ZUIKO DIGITAL 17.5-45mm F3.5-5.6 35mm SS=1/25 F=4.8 ISO=800
神に仕える人の描く神の姿
後で調べてみると雅楽の奏者でもあり、神職の資格も有するという方だそうで題材として日本神話などが入ってくるのは納得ですが、展示されている絵で目立つのは古事記や日本書紀で語られている偉大な神々の姿ではなく付喪神 - その価値すら忘れを去れるほどに使い込まれて壊れかけたモノに宿る神 - というより精霊(悪霊?魂魄?)の姿です。
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OLYMPUS E-3 ZUIKO DIGITAL 17.5-45mm F3.5-5.6 36mm SS=1/13 F=5.0 ISO=800
普通絵や写真などのビジュアルは文字で表現するよりもその対象を分かりやすく表現します。「百聞は一見に如かず」です。
しかし、この絵に描かれているものは一体何なのか。一つの存在を描いているようでいて、無数の生き物の群れや風景を描いてるように見えます。時にはそれらの中に文字までが隠されていてたりするのは写真にはできない表現のように思いました。
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OLYMPUS E-3 ZUIKO DIGITAL 17.5-45mm F3.5-5.6 45mm SS=1/20 F=5.6 ISO=800
写真の限界
エンジンオイルやルイボスティーを使って描いている。という話を聞いたときはかつてフィルムを現像してプリントを作り出すときにわざと印画紙を汚して - それそこオイルや絵の具などで - という写真家がいた。という話を思い出しました。
そういった手法はフィルムカメラの手法でデジタルの場合はそうはいきません。デジタルでこれに近い手法があるとすればピクチャーエフェクトの「クロスプロセス」を使ってみる事でしょうか。
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でも正直言って効果的な使い方が分かりません(笑)
PENTAX K-01 HD PENTAX-DA 18-50mm F4-5.6 DC WR RE 45mm F=5.6 SS=1/100 ISO=1600
でもこれだってリバーサルフィルムで撮影したものに敢えてネガフィルムの現像を施す(または逆にネガフィルムにリバーサルフィルムの現像を行う)というフィルム時代の手法を模しているというだけで、表面的な手法をまねたところで今回の絵画展で見た表現力には敵わないように思えます。
ただ、これらの絵画は「神」(付喪神ではありますが・・・)という現実を超越した存在を描いたものなので、これに近いものを写真で表現しようとしたらそれこそ彼岸を写すしかないという事なのでしょうか。
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自分なりに「混然一体」を表現しようとしたらこうなりました。
OLYMPUS E-3 ZUIKO DIGITAL 17.5-45mm F3.5-5.6 45mm SS=1/160 F=7.1 ISO=100
写真は此岸に - 現実に立脚してなければ写真ではないとしたら、これらの絵は写真の限界を見せつけているのでしょうか。
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OLYMPUS E-3 ZUIKO DIGITAL 17.5-45mm F3.5-5.6 17mm SS=1/60 F=8.0 ISO=125