気持ちの整理

とても怖いと思った
一昨日と昨日、なにもない瞬間に、強く「誰かに見られている」と感じて、ゾクゾクしたり動悸がしたりした。それも同じ時間だった

わたしの精神状態のせいなのか、本当に見られているのかはわからない。

調べてみると、統合失調症にはそのような症状があると書いてあった。統合失調症のセルフチェックを行ってみると、あまりいい結果ではなく、思っていたより当てはまる項目が多かった。
毎日やることもなく、やりたいことも気力と体力のなさでやれなくなってきている日々。家族には潔癖で困ると言われることもしばしばあるような人間だから、さらにおかしくなってしまうのも一理ある。

調べてみると、霊感の話題もあった。
「自然などに触れ心が浄化されると、霊感が強くなりやすい」というような趣旨のことが書かれていた記事があった。ちょうど、その日にはSNSを通して綺麗な風景を嗜んだ後だったこともあり、この説も少しは可能性があるのかな、とも思った

集合住宅に住んでいるため、近隣の住民が壁に穴を開けてカメラを覗かせているのではないかというのは、もうずっと前から思っていたことだけれど、こんな風にゾクゾクするような感覚ははじめて。

精神面の問題も、霊的なものも可能性がありそうで、どっちも当てはまると思い込んでしまった。
ただ、統合失調症の方は当てはまっていても軽度だと思う。日常に大きな支障はないから
だけれど、もし霊感が敏感になっていたのだとしたら。
ものすごく恐怖を感じた
今も感じている

この一件から、「死にたい」と思ってはいけないと思うようになった
「死にたい」と望む気持ちが、霊を呼んでしまっていたら。
わたしは本当に死んでしまうんじゃないか。
そう考えると、怖くて怖くて仕方がない。
病んでいることは事実だけれど、死ぬことはまだ怖い。
死ぬことが怖いと思えないくらい病んでいた時期よりは、今の状態に感謝しなければいけないのだと思う。
けれど、開き直らせて欲しい。わたしは生きるのがつらいし苦しい。
でも、やはり「死にたい」とは思ってはダメだと思ってしまう。この状態もとてもつらい。
何かあった時に「どうせわたしはすぐ死ぬんだし」と思えたのはとても心の逃げ道になっていた。それすらもできなくなるとなると、余裕がなくなってきてしまう

自分が怖いと感じるのは、結局のところ自分で自分にかけた暗示があるから。自分が心からそれが怖いものだと認知しなければ、対象が何であれ全く怖くないのだと思う。
けれど、それはほとんどが意識的に制御できるものではない。無意識の中で勝手に行われてしまう。だからこそ困るし、悩む。

本当はこれらも、日々の自分の物事の考え方や行動の仕方をポジティブに意識し続けることで、ほんの少しづつでも変えていくことはできるのだとおもう。けれどそれが難しい。

自分が自分に〝「死にたい」と思うと霊を寄せ付けてしまう〟と洗脳をかけてしまった以上、それを解毒するのには時間がかかるし、そう簡単には解決できないと思う。

そこで、わたしは自分の気持ちを客観的に見てみようと思う。
少し冷静になって、自分に問うてみる。


・わたしは、本当に死にたいのか。
→いいえ
最近のわたしはこんなこととっくにわかっている。
死にたいと思うのは、死ぬことでしか人生の苦しみから逃れることはできないと思っているから。
だから、「死ぬ」以外の方法で、わたしは苦しみから救われればいい。
でも、それ以外の方法でわたしが救われる方法なんてあるのか。それが思いつかないから、「死にたい」になる。
けれど、今のわたしはパワハラを受けて死のうとしていた時のわたしじゃない。あの時は本当に「死ぬこと」を渇望していたけれど、今は違うと思う。今は「救われたい」に言い換えられる。

「助けられたい」とも言える。けれど、助けてもらうには他人が必要になる。
助けてもらうための 他人→自分 という構図を成立させるためには、まずはわたしが相手を信じなければならない。
けれど、わたしは他人を信じることが怖い。裏切られたり見捨てられたり都合よく使われた経験が何度もあるし、期待してしまって幻滅したようなこともある。
だからこそ、誰も信じる事が出来ずにここまで誰にも相談をしてこなかった。自分が本当に苦しんでいる悩みは、誰にも言えなかったし、今も言えない。
ここを乗り越えなければ、「助けてもらいたい」という気持ちは満たされない。


・わたしはこれからどうしていきたいのですか
→働きたくない。楽しいことだけをやっていたい。
甘えだと思う。甘ったれと思われると思う。けれどやっぱりわたしはこれ。
楽しい仕事ができるのが一番いいのだと思う。自分はストレスフリーに楽しい時間を過ごし、収入が入る。これが一番理想とする形。
でも、わたしにとっての楽しい仕事がなにかわからない。見つけられていないし、まず存在するか自体わからない。
だからこそ、「もういいや。死のう」となっていたのだと思う。
けれど、打ち込める仕事があればわたしは打ち込めるのだと思う。そのジャンルの幅が狭すぎるだけ。

今は無職。パワハラを受け、合わない仕事をやっていた会社を辞めた。
収入がない。これが困る。
お金を使うことが好きだから、お金が減る。
しかし無駄遣いはいけない、と、欲しいものを我慢する。これがまたストレス。
悪いループになってしまっている。
ただ、無収入とはいえ、収入があった会社員時代の時の精神状態よりは安定していると思う。自殺を遂行しようともしなくなった。
だから、働きたくない。働いていない方が自分のメンタルがいい状態になれるから。


・現状を変えたいのか
→はい
ひとつ前の項目で働きたくないと言っているにも関わらず、やはり行動できない自分に嫌気が差している。
なにか現状を変えたい。人生が苦しいと感じている今の状態を変えたい。
けれど、策がない。
どうしたら変わるのか、どう動くのが正解なのかがわからない。
正解を求めてしまうのは良くないとわかってはいるけれど、求めてしまう。失敗を恐れて、正解の道を歩もうとする。けれど正解がわからない。これの繰り返し。
大切なのは正解の道を歩むことではなく、経験を積むこと。失敗も経験、正解も経験。だから、本当は失敗もしなくてはならない。
けれどやっぱり失敗は怖い。
だから最優先なのは失敗を恐れずに一歩を踏み出せるようになること。
そのためには、どうしたらいいのだろう
これもわからない。
誰かのアドバイスがほしい。けれど相談はしたくない。道が塞がれたような気持ち。
これだからいつまで経っても現状維持。どういうふうに行動するのかという考えすら浮かばない。


殴り書きでした。
このまま留まっていて、なにかが変わるでしょうか。
救われたい。助けてほしい。認めてもらいたい。肯定して欲しい。生きる価値を与えて欲しい。
これがわたしの望みです

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