第4回: 情報開示はできることから

2019年10月30日掲載

食の多様性を持った訪日客が日本で最初に覚える漢字があります。ムスリム(イスラム教徒)は戒律を理由に避けている「豚』、ベジタリアンは出汁に使われる「魚』、グルテンフリー(小麦や大麦、ライ麦などに含まれるタンパク質のグルテンを抜く者)はそれが含まれている「麦』です。これがヴィーガン(完全菜食者)であれば「乳』や「卵』かもしれませんが、彼らはこうした漢字を避けながら、食べものに何が入っているのかを気にしています。コンビニやスーパーで長々と商品を選んでいる外国人を見かけたことはありませんか?

英語対応はいまだ不十分

翻訳アプリでも調べきれない場合、彼らはSNS(交流サイト)でヘルプを求めることが少なくありません。同じ悩みをもつ人たちのグループ内で、「これはハラールか?」「なんて書いてあるのだ?」といった質問に対し、「豚は使ってないみたいだね」「動物性由来だという意味だよ」といったやり取りがされています。つまり通訳機能をコミュティーに求めているのですが、問題は投稿してもすぐに情報が得られるわけではないという点です。例えば、レストランなどの店舗で英語表記がないとなるともうお手上げです。店員に説明を求めても通じないし空腹は満たせないしで、SNSへの書き込みは自ずと厳しい内容になりがちです。では実際店舗の対応はどういう状況なのでしょうか。

第4回(通算45回)_図_スクショ

チャートは全国の飲食店における多言語化対応の状況を示しています。アンケート調査で回答を得た732店舗のうち、「2018年に外国人の来店があった」のは93.2%に上ります。そのうち月間31人以上程度が来店した店舗が17.7%あったのは意外と高い数字ではないでしょうか。そして来店があった店舗の半数以上が「外国語メニューを作成した」とする一方、「特に何もしていない」という店舗は36.1%にも上ります。3店舗に1店舗は何もしていないというのですから、外国人客にとっては不満が残るところでしょう。

私がこの調査結果で気になったのは、「食材について外国語の説明文を掲載した」店舗が6.2%しかないという点です。同調査によると、「来店した外国人客が話す言葉は約90%が英語」とのことですから英語のメニューがあれば概ね問題ないのですが、食の多様性対応としては不十分です。メニューからだけでは食べられるか否か判断できないからです。食材の情報開示が求められていることはこれまで本コラムで指摘してきていますが、日本ではまだ普及しているとはいえません。訪日客の中には「日本で食事をするのはギャンブルだ」と表現する人もいるほどなのです。

情報開示はシンプルにするのがコツ

ではどうすればよいのでしょうか。まず店舗全体として「当店はこう対応しています」と開示するのか、メニュー毎に「これには何が入っています」と開示するかを決めます。前者はメニュー全体から選んでもらうスタイルで、後者はメニューの限定部分から選んでもらうスタイルです。できることから始めるとすれば後者ですので、ここでは後者の始め方をご紹介します。

ポイントは写真、英語の品名、アレルギー表示です。情報開示の目的は食べられるか否かをお客様に判断してもらうことですから、判断材料を提供することが求められます。人によってその量や質は異なりますが、メニュー表に写真、品名、アレルギー表示があれば、お客様の半数以上には判断してもらえます。

品名の翻訳サービスはウェブに無料のものが数多く提供されています。中には東京都の『多言語メニュー作成支援ウェブサイト』のように翻訳から印刷まで一気通貫でメニュー表を作れる無料サービスもあります。まずはこうしたサービスで「何が入っている料理なのか」を伝えることから始め、その後有料のネイティブチェック(母国語を話す人によるチェック)で細かなニュアンスを加えると良いでしょう。ラグビーワールドカップのある会場で「和風」を「WA-FU」と記載していたという冗談のような事例もありますので気をつけたいところです。

ピクトグラム(絵単語)もハラールグルメジャパンほか様々なサイトから無料でダウンロードできます。それらウェブサイトには数多くのピクトグラムが並んでいるためどれを使うか悩むかもしれませんが、一つのメニューに対して5つまでのピクトに留めておくと見やすいです。ソバ、エビ、カニ、落花生といったアレルギー表示は一般的になっていますが、訪日客向けには冒頭で挙げた豚、魚、乳、卵といったピクトグラムを加えるとよいでしょう。

そんなに多くをメニュー表に収めきれない場合もある場合は、おすすめメニューに絞るというのも一手です。一つのメニュー表に多言語を記載するのではなく、日・英・中語別にメニューを分けるというのも効果的です。メニュー表に詰め込みたくないというのであればQRコードからウェブサイトへ誘導するといった方法もあります。ウェブサイトであれば、より詳しい判断材料を求めるお客様にも対応できます。情報開示はシンプルなところから始める。求められれば次の段階へ進める。こうして無理がない範囲でできることから始めればよいのです。

情報開示とリクエスト対応

情報開示はお客様に選ばれるための手段ですが、リクエスト対応は選ばれた後にお客様からの要求があったための行動です。おもてなしの観点からみれば両方必要なはずですが、先述のように充分に対応できていないのが現実です。「言われたらやる」というのはつまり事後対応ですので、先回りして備えるというホスピタリティの原点とはほど遠い考えです。それを示す実話が、ラグビーワールドカップの開幕前後にありましたのでご紹介します。

ある食品企業の方が組織委員会に食の多様性対応の方針を確認したところ、「開催都市の各自治体に任せている」との回答だったとのこと。そこである自治体に同じ内容を問い合わせたところ、「ホテルやレストランといった民間の受け入れ企業に任せている」とのことだったため、今度はある代表チームを受け入れるホテルに問い合わせました。「リクエストがあれば対応する」という回答に「受け入れられるチームにはムスリムやヴィーガン(動物性食品を食べない人)の方がいらっしゃいますよ」と言うと、「リクエストがあれば対応する」と伝えられたそうです。その後そのホテルから「ハラールとヴィーガン食材を至急仕入れたい!」という連絡が入ったのは、チームが到着する直前だったという顛末でした。

実は私も同様の事案を聞いています。それもラグビーの海外チームが来日するに際しての、ちょっとした騒ぎでした。その時は「まさかこんなにベジタリアンがいるとは」という滞在先ホテルの認識不足が原因だったのですが、それが日系の一流ホテルだったというのには驚かされました。食の多様性は日本人の想像以上に世界で急速に広まっています。10年前には見聞きもしなかった食に対する考えが広まり、環境への配慮が高まり、人々の嗜好は多様化しています。食の多様性対応はできることから始めるしかありませんが、おもてなしの国である日本への期待はそのレベルではないと理解しておきたいものです。

掲載誌面: https://www.nna.jp/news/show/1965296

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?