やっぱりひとりぼっちだった
ものすごく大事なことを、忘れてた。
私は、ひとりぼっちなんだった。
少し前、これまでの人生で1番じゃないかと思うくらい、精神状態が悪化した。
その時に思い出した。
私はひとりぼっちなんだった、って。
それまで、忘れてた。
勘違いしてた。錯覚してた。
周りの人に恵まれすぎてて。
少し気持ちが落ちたときとか、
なにか具体的に悩みがあるときとか、
死にたい気持ちに潰されそうになったときとか、
精神バランスを崩して症状に出てしまったときとか、
そういうとき、
私は自分で、ある程度SOSを出せるようになった。(壊滅的に下手くそだけど)
それを受け取ってくれる人が周りにいてくれてるから、私は今も生きてる。
それって十分すぎるくらい、恵まれてる。
恵まれすぎてる。わかってる。
でも、
少しじゃなく、どん底をさらに掘り下げていくぐらいに気持ちが落ちたとき、
何ってわけじゃないけどただただひたすらに苦しくて辛くてたまらないとき、
死にたいけど死ねない、でも楽になりたい。それを実際に行動に移すことを心に決めるぐらいぐちゃぐちゃなとき、
自分でも、自分が自分であることを信じられないくらいに我を失ってるとき、
そういうとき、
つまり、もうほんとにどうしようもないぐらいに壊れたとき。
私には、SOSを出せる人が見つからなかった。
いつも話を聞いてくれるあの人も、
いつも気にかけてくれるあの人も、
いつも助けてくれるあの人も、
私なんかのことを大切にしてくれてるあの人も、
きっとSOSを出したら、受け取ってくれたと思う。
けれど、無理だった。
だって、壊れた状態で出すSOSなんて、あまりに重すぎる。
だし、もはやSOSとはいえない、ただの自分勝手なワガママな叫びでしかない。
そんなものを、ぶつけられるわけがない。
私のこの厄介で重すぎるものを、押し付けるわけにはいかない。抱えさせるわけにはいかない。
あの人にも、あの人にも、あの人にも、
家族がいて恋人がいて親友がいる。
生活があって仕事がある。
私より大切で、優先すべき人がいる。
私にかけるより、優先すべき時間がある。
そんなことわかりきってることだから、そんな人たちに、縋ってしがみついて巻き込むことなんてできない。
それに、
今どんなに近い存在であろうと、どんなにかけがえのない存在であろうと、
他人は結局、どうせいつか自分の周りから離れていく。
人間関係そんなもん。
壊れた心に追い討ちをかけるように、
家族・親子関係の悪さを憎んだ。
こういうとき、心の拠り所になるのが家族なんじゃないの?
苦しみを一緒に抱えてくれるのが家族なんじゃないの?
自分の弱さを隠さず安心して甘えられるのが家族なんじゃないの?
直接頼らなくても、自分には絶対的な味方がいるって思えることで安心できるものなんじゃないの?
どうせいつか自分から離れてくって思わないのが家族で、それが生きていくための根本的な支えになるんじゃないの?
自分には居場所があるっていちいち確認せずとも、当たり前のように思えることで、人は生きていけるんじゃないの?
なんで私にはそういう存在の人がいないの?
なんで私の親はそういう存在になってくれなかったの?
なんで?なんで?なんで?
足りないとかじゃないよ、真逆なんだよ。
ねぇお母さん、お父さん。あなたたちは私にとって、世の中で一番苦しみを与えてくる人達なんだよ?
なにかあったとき、他の誰よりも、他の何よりも、一番に優先して動くことができる。
なにがあっても、自分から離れていくわけがないって心の底から思える。そんなことすら考えることもないくらいそれが当たり前。
それが、家族のごく一般的な、多数派な、そして理想的な、カタチだと思う。
私には、そんな家族は存在しなかった。
そして、
加えて、セクシュアリティが迷子な自分を責めた。
恋愛対象がなんなのか、
(テヘロセクシャルなのかレズビアンなのかバイセクシャルなのかパンセクシャルなのか)
そもそも自分に恋愛感情、性的感情というものが存在するのか、
(アセクシャルなのかノンセクシャルなのか)
なにもわかっていないクエスチョニング。
それが私のセクシュアリティ。
それだけが理由じゃないけど、それも邪魔して、恋人・パートナーという存在を拒否してしまう。
家族がダメでも、恋人・パートナーがいたら少しは変わるのかな。。。と思うこともある。
周りの人に、そう言われたことも何度もある。
実際、家族関係で傷を抱えていても、恋人・パートナーとの出会いで孤独から救われた人もたくさんいる。
自分が生まれた家族の中に居場所がなくても、新しく自分で築いた家族の中で居場所を見つける人もたくさんいる。
私には、その選択肢がない。
あぁ、なんで自分はこうなんだろう。
このままずっとひとりぼっちで生きてくなんて、
こわくてこわくてたまらない。
でもきっと、
“ひとりぼっち”なのは
生きてるだけで罪な私の、
存在自体が罪な私の、
背負って当たり前の罰なんだと思う。
人って変われるから、
自分が変わって現状も変わるかもしれない。
でもそんな淡い期待を抱くより、
罰だと受け入れて諦めて生きてく方が、
きっと、よっぽど、楽。
私は、ずっと、ひとりぼっちで生きてく。
ひとりぼっちであることを忘れないようにしなきゃ。
とか言ってるけど、
諦めきれないからずっとしんどいわけで。
息苦しいときに、「息が上手くできない、苦しい」と訴えることができる人。そして、上手く息ができるまで、隣にいて背中をさすっててくれる人。
震える手を、強く優しく握っててくれる人。
眠れない夜や、悪夢で目覚めた夜中、「大丈夫だよ」ってぎゅっと抱きしめてくれる人。
過去に吸い込まれてしまって自分をコントロールできなくなってる私を、「今はここにいるよ」「今は安全なところで生きてるよ」と、“今”に戻してくれる人。
わけわからなくなって混乱してる私を、
理由もわからず泣いている私を、
死にたいと叫ぶ私を、
掴んで離さないでいてくれる人。
見捨てられることはないと心から安心させてくれる人。
そんな人を、望んでしまう。欲してしまう。
私みたいな人間には、そんな人を求める資格なんて1ミリもないのに。
あーあ、なんで私って。
きっとこの先も、ずっと、
そう思いながら、
情けなさと無力感と自己嫌悪感に包まれて、
ひとりぼっちで、
生きていくことになるんだろう。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。