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祈りじゃなくって決意表明。
雲の上は雨が降らない、なんて自明の理論。
ならば、かささぎ便さえ欠航になっていなければ、今頃織姫と牽牛は、1年ぶりの逢瀬を楽しんでいるのだろう。
そして、長年の遠距離マスターの織姫に聞きたい。
「どれだけ年月が経っても、大切の人の前では綺麗にいたいですか。」と。
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「好きなあの人に振り向いてもらいたい。」
「彼氏や旦那さんにいつも、可愛い・綺麗って思ってもらいたい。」
そう思って努力を重ねる姿は、年齢問わずなんだかきらきらしていて眩しい。
一方わたしはこれまで生きてきて、そんな風に思って、ひたむきに外見への努力をした記憶がない。
そりゃ、人並には自分に合う、化粧や服えらびの研究もしてきた。ちょこっと気まぐれなダイエットだって。
理想はあるが、考えれば考えるほどちょっと悲しくなるから考えない。
憧れの眼差しで見る、モデルだって、身近な人だって、きっと見せない努力を重ねているんだろうけれど、見えている姿だけで軽率に、いいな、なんて思ってしまう自分。
平均体重よりちょい下。
納得のいく体型ではないが、とても太っているわけではない。まあ、これもわたしかあ、なんてポジティブな諦め。
ーこのロングスカート、可愛いけれどお尻の大きさが目立つ?
ーこの明るい色のスキニー、素敵だけど、この脚の太さじゃちょっとな・・・
服は好みだけど着てみたらなんだかなあ、って買わずじまいだったものはこれまで数知れず。
試着室で、「なんだかなあ、、」なんてため息をつくことを、これから先もずっと繰り返していくのか?と思ったら、なんだかその度にますます吐くため息の濃度が濃くなる予感がした。
だれかのために、というより自分が自分で納得のできる体型になりたい。人生は限りある、着てみたい服を体型のせいで諦める自分はもう嫌だ。
透き通るような色白になりたいだとか、もっと身長が欲しいだとか、そりゃなりたい外見の希望を数えだしたらキリがない。
けれどさ、努力の範囲でどうにかなるかもしれないことに対しては、もっと足掻けよ、わたし。
例えば、なんらかの危機的状況で食べられなくなっても太ももの脂肪分解で数日間は生き延びられるんじゃないか、というくらいの逞しさの太ももとかさ。
つまんだら、テインカーベルの一人くらい生成できちゃいそうなお腹とかさ。
ずっと前にダイエットに関してこんな投稿をしたが、あれから数か月。-2㎏を毎月目指すも、何の変化もない自分にも、もう飽き飽きだ。
−2kgの無限ループ。|碧魚 まり #note
https://note.com/6237/n/n860d8637a848
そして満を辞してついに先日、自分の身体に投資してみることにした。
結果は出るか分からない、なんて言わない。少なくない額を払ったんだ、結果は出す。少なくとも半年以内に。
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さて話を冒頭に戻し、七夕。
天の川が見えず、残念に思う人も多いだろうが、日本では七夕の雨は、天からの清らかな水によって、この世のすべての罪や穢れを流してくれるといった考えもあるそうだ。
「痩せますように。余分な脂肪もついでに洗いながしてはくれますように。」
なんてわたしは、希望を込めて祈らない。
「痩せて、自分が納得いく体型になってやる!!」
これは、曇天に誓う決意表明なのだ。